更新日: 2024年1月12日
聖徳太子がしたこと~古代史の英雄・聖徳太子が中央集権化を目指し、さまざまな国政改革を行なう
聖徳太子(しょうとくたいし)は推古(すいこ)天皇の摂政(せっしょう)として辣腕(らつわん)を振るいます。冠位十二階と十七条憲法の制定が、その最大の功績です。聖徳太子は仏教の振興や歴史書の編纂にも尽力したとされています。
目次
聖徳太子がしたこと
物部氏を滅ぼして実権を握った蘇我馬子は、馬子主導の政治に不満を募らせた崇峻(すしゅん)天皇を暗殺し、姪の炊屋姫(かしきやひめ)を推古天皇として592年に即位させました。このとき摂政に任ぜられ、馬子とともに女帝を支えたのが聖徳太子です。
太子は用明(ようめい)天皇の子で、本名は厩戸皇子(うまやとのおうじ)といいます。蘇我氏と物部氏による衣摺の戦いで蘇我氏につき、戦勝を祈願して四天王(してんのう)像を彫りました。
太子の摂政としての業績は数多くあります。最もよく知られているのは冠位十二階と十七条憲法の制定です。
603年に定められた冠位十二階は、冠の種類によって朝廷内の官人の序列を示す制度。従来は豪族が世襲で政治的地位を得ていましたが、これによって個人の能力次第で地位を得たり、昇進できるようになったのです。翌年に発布された十七条憲法は、役人や貴族が守るべき道徳的規範を17条にまとめたもので、儒教(じゅきょう)や仏教の思想の影響もうかがえます。
ほかにも仏教文化の興隆につとめたり、『天皇記(てんのうき)』『国記(こっき)』といった歴史書の編纂を行なったりしています。こうして太子は天皇を中心とする中央集権の国家体制づくりを進めていったのです。
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