更新日: 2024年1月12日
大化の改新~天皇中心の中央集権体制を目指し、新政権がいよいよスタートを切る
中大兄皇子は即位せず、皇太子として新政権の実権を握ることになります。改新(かいしん)の 詔(みことのり)を政治改革の骨子として公地公民制への移行がなされ、さらに統一的税制が施行されます。
目次
大化の改新とは
乙巳の変後、皇極天皇の弟孝徳(こうとく)天皇が即位すると、中大兄皇子が皇太子として実権を握る新政権が発足しました。左大臣には長老の阿倍内麻呂(あべのうちのまろ)、右大臣には乙巳の変に参加した蘇我倉山田石川麻呂、内臣(うちつおみ)には中臣鎌足、ブレーンである国博士(くにのはかせ)には高向玄理(たかむくのくろまろ)と旻(みん)が就きました。この新政権のもとで大化の改新と呼ばれる政治改革がはじまったのです。
具体的には「大化」という年号がはじめて設けられ、645(大化元)年12月には未完成の難波長柄豊碕宮(なにわのながらのとよさきのみや)へ遷都。そして翌年正月に政治改革の骨子となる改新の詔が宣下されました。
改新の詔は「王族・氏族の私有地・私有民制の廃止と公地公民制の実施」「京師(けいし)・畿内・国・郡・里など地方制度の整備」「戸籍・計帳の作成と班田収授の法(はんでんしゅうじゅのほう)の施行」「租(そ)・庸(よう)・調(ちょう)など税制改革の実施」の4つからなる画期的なもので、これを根本に据え、中央集権国家の建設が進められることになりました。ただし、大化の改新は最初から順調だったわけではありません。改新の詔にしても、すぐに実行するのは不可能なものが多く、所信表明のようなものに過ぎなかったといわれています。
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