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卑弥呼が統治した邪馬台国はどこにあった?

女王卑弥呼が統治する邪馬台国はどこにあったのか――。

古代史最大の謎のひとつである邪馬台国の所在地については、畿内説と九州説を中心に論争がなされてきましたが、結論はいまだに出ていません。『魏志』倭人伝の記事に従い、邪馬台国の所在地を探る場合、中国からの方位をとれば九州、距離をとれば畿内にあったことになります。この不正確さが論争に終止符を打てない原因のひとつになっているのです。

いまだに論争が続く、畿内説と九州説の具体的な所在地とは

『魏志』倭人伝の距離に従って進むと、所在地は畿内になり、奈良県桜井市周辺や河内平野などが比定地とされています。

九州説は、『魏志』倭人伝の方位に従って進むと、所在地は九州のはるか南の洋上となりますが、福岡県山門郡や大分県宇佐市などが比定地とされています。

金銀錯嵌珠龍文鉄鏡は邪馬台国の卑弥呼に曹操から送られたもの?

ただし、九州・畿内どちらからも記事に相当するような遺構や遺物が次々に発見されています。

そのなかで近年、大きな注目を集めているのが金銀錯嵌珠龍文鉄鏡(きんぎんさくがんしゅりゅうもんてつきょう)です。金銀錯嵌珠龍文鉄鏡は1933(昭和8)年に大分県日田(ひた)市のダンワラ古墳で出土した鉄鏡で、金銀玉の装飾が施されています。金や銀をはめ込んだ鉄鏡は権威の象徴であることから、卑弥呼が魏の皇帝から贈られた鏡ではないかという見解も出されています。

この説はあまり支持されませんでしたが、2019(令和元)年、中国・河南省の曹操(そうそう)の墓から鉄鏡が出土し、それが金銀錯嵌珠龍文鉄鏡によく似ていると発表されたのです。曹操は魏の武将。金銀錯嵌珠龍文鉄鏡が魏の皇帝から贈られた鏡の1枚であれば、九州説の裏づけとはならないまでも、信ぴょう性は増します。中国での発見は邪馬台国論争に一石を投じることになっています。

邪馬台国は九州にあった!? 九州説を補強する鉄鏡の存在

三国志の英雄である曹操の墓から出土した鉄鏡は、2008年から実施された発掘により見つかっています。全面がサビで覆われていたため当時はわかりませんでしたが、X線調査の結果、豪華な装飾がなされていることが判明。中国の考古学研究所から、大分県で出土した金銀錯嵌珠龍文鉄鏡との類似性が指摘されているのです。

 

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淡路島の銅鐸、蘇我氏や大王家の古墳など21世紀に入ってからも新発見が相次ぎ、注目を集め続ける日本の古代史。その歴史を解くカギは限られた文献と、神話と出土品のみであるため、未だ解明されない謎が多いのです。
そもそも日本人がどのように生まれたのか、天皇家がどのように誕生したのかも判然としません。

こうした古代史を読み解く上で、もうひとつ重要な鍵となるのが地図。日本人の成り立ちも、縄文人の生活も、地図を読み解くことによって明らかとなります。さらには日本最初の都が飛鳥に生まれた理由や京都盆地が都建設地に選ばれた理由も当時の豪族の勢力圏から浮き彫りに。古代史のトピックを解説しながら、これらにまつわる謎を地図によって読み解きます。

第1章 縄文・弥生時代

【縄文・弥生時代の流れ】 大陸から日本へやってきた人々がクニをつくり各地で戦争を繰り広げる
【日本への長い道】 何のために、どんなルートを通り、日本へたどり着いたのか?
【縄文人の生活】 高度な技術で多様な道具をつくり、危険をおかして遠距離を移動!
【戦争のはじまり】 中国の史書が記す「倭国大乱」はいったいどこで起こったのか?

~クローズアップ古代史~
稲作がはじまったのは弥生時代ではなく、縄文時代だった!
曹操の墓で発見された鉄鏡が邪馬台国の九州説の裏づけになる?

第2章 古墳時代

【古墳時代の流れ】 ヤマト政権による統一が進むとともに各地に築造されていく巨大な前方後円墳
【倭の五王】 中国に使者を送り続けた5人の王 彼らの正体を明らかにする
【巨大古墳の登場】 前方後円墳はヤマト政権のシンボル それが全国につくられた意味とは?

~クローズアップ古代史~
日本最大の前方後円墳は仁徳天皇の陵墓でない!

第3章 飛鳥時代

【飛鳥時代の流れ】 朝鮮半島から日本へ仏教が伝わり、中大兄皇子のクーデターで大化改新が実現
【崇仏論争】 仏教を受け入れるか拒絶するか……激化する蘇我氏と物部氏の争い
【大化改新】 天皇中心の中央集権体制を目指し、新政権がいよいよスタートを切る
【天武天皇の政治】 律令体制が次第に整い、日本がようやく「国」になった!

~クローズアップ古代史~
聖徳太子が建立した法隆寺の現在の建物は再建されたもの?
大化改新は虚構ではなく、確かに大きな改革が行われていた!

第4章 奈良時代

【奈良時代の流れ】 政争や疫病などの社会不安が相次ぐなか、平城京に律令体制の中央集権国家が完成!
【遣唐使派遣】 命の危険をおかして中国に渡った留学生たちが唐で得たものとは?
【聖武天皇と鎮護国家】 仏教で社会不安を鎮めようとした聖武天皇の篤き願い
【平安京遷都】 長岡京の建設中に決まった平安遷都 なぜ桓武天皇は心変わりしたのか?

~クローズアップ古代史~
平城京では「破斯清通」という名のペルシア人が働いていた!?
奈良時代の人々も知恵を絞ってさまざまな疫病対策を試みていた!

[監修者] 瀧音能之(たきおとよしゆき)

1953年北海道生まれ。早稲田大学第一文学部日本史学科卒、博士(文学・早稲田大学)。
現在、駒澤大学教授。日本古代史、特に『風土記』を基本史料とした地域史の研究を進めている。主な著書に『風土記と古代の神々』(平凡社)、『古代日本の実像をひもとく出雲の謎大全』(青春出版社)、『出雲大社の謎』(朝日新聞出版社)などがある。

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