更新日: 2024年1月12日
邪馬台国は女王卑弥呼が鬼道を用いて人々を治めた国
クニ同士の争いを収めるため、卑弥呼(ひみこ)が邪馬台国(やまたいこく)の女王となりました。卑弥呼は巫女(みこ)のような存在で、鬼道(きどう)を用いて統治していきます。しかし卑弥呼亡き後しばらくすると、邪馬台国の記録は見えなくなり、その詳細は謎に包まれたままとなっています。
卑弥呼は邪馬台国を治めた女王
クニ同士が激しく争う倭国大乱は長らく続きました。その争いを終わらせるために擁立されたのが、邪馬台国の女王卑弥呼です。『魏志』倭人伝によると、邪馬台国は30あまりのクニから成る連合国家で、もとは男性の王が治めていましたが、内乱となったため、首長たちが協議して女王を立てました。
女王卑弥呼は鬼道を用いて人々を治めました。鬼道とは、呪術的な宗教のようなもの。つまり、卑弥呼は巫女的存在だったと考えられています。厳重な警備が敷かれた宮殿では、卑弥呼は1000人以上の女官を侍はべらせて暮らしていました。宮殿には、男性は弟ひとりしか出入りを許されなかったといいます。
239年には朝鮮半島を支配下に置いていた魏に朝貢(ちょうこう)し、魏の皇帝から「親魏倭王(しんぎわおう)」の金印と銅鏡100枚などを授けられたといいます。
そんな卑弥呼も、3世紀中頃にこの世を去ります。その後、男性の王が立つと、倭国は再び乱れましたが、卑弥呼の同族の壱与(いよ)(台与(とよ))が女王になると収まったと伝わっています。しかし、魏の後に興った西晋(せいしん)の記録を最後に邪馬台国に関する記事は見られなくなり、その後、邪馬台国がどうなったのかなど、詳細はわからなくなってしまいました。
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