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白洲正子~真の伝統美を追い求めた“韋駄天お正”

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月12日

白洲正子~真の伝統美を追い求めた“韋駄天お正”

あるときは能、あるときは骨董や古典文学に没頭し、興味の赴くままに道なき道を進んだ白洲正子。
「自分の足で歩くこと」を信条に、朝から晩まで東奔西走する白洲正子に“韋駄天(いだてん)お正”という愛称を付けたのは、師の青山二郎(美術評論家)であったといいます。

白洲正子は幼い頃に能にめざめ、武相荘で2人の師に出会う

随筆家・白洲正子は、GHQに「従順ならざる唯一の日本人」と言わしめた白洲次郎の妻としても有名です。白洲正子は樺山伯爵家の次女として生まれ、4歳のときに観た能の舞台に感動します。女性として初めて女人禁制の能舞台に立ったのは、14歳の頃でした。その後、アメリカのハートリッジ・スクールに留学し、帰国後に次郎と出会います。

互いに一目惚れをした2人は、周囲の反対を押し切って結婚。3人の子宝に恵まれました。
太平洋戦争が始まると、夫妻は鶴川村(現・東京都町田市)の農家を購入し移住。自給自足の生活を送ります。2人の終の棲家となったこの家は「武相荘(ぶあいそう)」と名付けられ、現存しています。

終戦後、知人の紹介で文芸評論家の小林秀雄、美術評論家の青山二郎と知り合った白洲正子は、毎晩のように彼らと杯を傾けて談義を重ねました。骨董の世界に没入し、青山の弟子として美を見極める目に磨きをかけたのでした。

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