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堤康次郎が開発した国立学園都市~西武王国を築いた堤が描いた学園都市構想 123RF

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月12日

堤康次郎が開発した国立学園都市~西武王国を築いた堤が描いた学園都市構想

国立駅前からまっすぐに伸びる大学通り。道幅約44mの両側は桜並木の遊歩道。国立市は約100年前、山林を開拓して大学を誘致してできた町です。

堤康次郎が動き出した当時の東京

東京は西へ、西へと発展してきました。早くから住宅や工場が集中した下町に比べ、西部には広大な畑地や雑木林などが残っていました。西部への発展は大正12(1923)年の関東大震災後から顕著になり、戦後はさらに西部の人口が増加します。池袋、新宿、渋谷などのターミナルから西に伸びる沿線に住宅地が広がったが、大きな転機は関東大震災です。

近江商人で知られる近江の出身で、上京後さまざまな事業を手がけて失敗を繰り返すなか、不動産で成功をおさめ、鉄道事業に進出した人物に、堤康次郎(つつみやすじろう)がいます。堤康次郎の当時の会社は箱根土地という社名で、後に西武グループ(国土計画、西武鉄道、西武百貨店など)の代表となり衆議院議長もつとめました。

堤康次郎が開発した目白文化村(現・新宿区下落合)

堤康次郎は、不動産事業の「別荘」「宅地・学園都市」で実績をあげました。別荘では軽井沢や箱根の開発で有名になるが、宅地開発では大正11(1922)年から分譲を開始した、目白文化村で名を高めました。目白文化村は、現在の新宿区下落合の高級分譲地で、西洋風の住宅に電気、ガス、上下水道を完備し、作家や画家などの文化人も住み、現在も町並の一部に当時の雰囲気を残しています。

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