更新日: 2024年1月12日
五島慶太は渋谷と東急グループを作り上げた鉄道王。その優れた経営手腕とは
東京有数の繁華街である渋谷は、東急と共に栄えてきたといっても過言ではありません。鉄道を中心とした東急を作り上げた五島慶太と渋谷の深いつながりを見ていきましょう。
五島慶太と東急グループ
渋谷駅の周辺には複数の東急ビルが立っているように、渋谷は東急が作り上げた繁華街といってよいでしょう。しかし、一朝一夕にできたわけではなく、東急に命をかけて会社を躍進させた五島慶太がいたからなのです。
五島慶太は一電鉄会社から立ち上げた会社を、一代で東急グループに成長させました。時に強引な手法から「五島慶太ならぬ強盗慶太」と揶揄されました。
東急の拠点は渋谷駅ですが、はじめから渋谷だったわけではありません。東急の始まりは目黒駅を始発着とする目蒲電鉄・目蒲線です。第一期の大正12(1923)年は目黒駅から丸子多摩川駅まで開通し、半年後には蒲田駅まで開通。しかし蒲田駅まで開通したその日に、関東大震災が襲います。開通式の5時間後に地震で電車の運行はストップし、レールが曲がるなど大損害を負いましたが、2か月後には復旧させるという離れ業をみせ、世間をあっといわせました。指揮したのは、目蒲電鉄を率いていた、後に東急グループの代表となる五島慶太です。
五島慶太が震災後に行った資金調達
関東大震災は、鉄道の被害は大きかったですが、思わぬ「恵み」をもたらします。
震災後、東京の住宅地が急に西の郊外に広がったことです。渋沢栄一が掲げていた田園都市構想を実現すべく、五島慶太が所有していた郊外の土地が次々と売れました。目蒲電鉄は震災後大きな利益を出し、五島慶太はその資金を活用して次の事業に進出します。関東大震災後、都心から郊外に土地を求めた学校を誘致することにも力を入れ、乗客増加につなげたのです。その代表は、日吉に進出した慶應義塾大学です。
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