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高輪築堤が建設されるまで~鉄道優先か、軍備拡充優先か~

明治2(1869)年、明治政府は首都東京と港のある横浜を結ぶ約29kmの鉄道建設を決定。イギリスに派遣されていた伊藤博文らは新政府のなかで鉄道事業を強く推進していたのです。イギリス公使ハリー・パークスの提言もあって鉄道建設は決定しましたが、建設に反対する者も少なくありませんでした。鉄道の利便性や輸送力がほとんど理解されていない段階であったため、巨額の費用を必要とする鉄道建設への反対意見や、鉄道より軍備拡充を優先すべき、と唱える声が噴出しました。

なかでも、兵部省(ひょうぶしょう)(明治政府初期の軍務機関)は用地取得に際して真っ向から反発しました。線路を敷く予定の新橋から品川にかけては兵部省の海軍操練所や宿陣所などがあったためです。同省にとってはとうてい受け入れられる話ではなく、求められた用地を「国防上必要である」と主張して譲らなかったのです。さらには、測量すら頑として拒否するという始末でありました。

高輪築堤が建設されるまで~大隈重信が解決案を提案~

そこで、鉄道建設を主宰した大隈重信が解決策として提案したのが、用地取得が進まない高輪から品川までの区間は海上に鉄道を走らせるという案。実際には、東京湾の遠浅の海岸線に沿って幅6.4m、長さ約2.7kmの堤防を築いて、そこに鉄道を敷設することになりました。これが高輪築堤です。

高輪築堤反対の声は地元からも

しかし、築堤の建設にさらなる反対の声が上がります。地元で漁をして生活する人からの陳情でした。海岸沿いに築堤を造られると、船を海に出せなくなるというものです。これに対しては、築堤を4か所切って橋を架け、その下の水路で船を通行させる方策をとりました。

 

高輪築堤の着工から完成まで

工事はイギリス人技士エドモンド・モレルの指導のもと進められることとなり、明治3(1870)年3月からの測量を経て着工。築堤を築くための石材は小田原や伊豆から運ばれ、高輪海岸の石垣や、未完成のまま放棄された品川第七台場の石材なども使用されました。海岸線を埋め立てながらの工事であったため、埋め立てたはずの土砂が波に流され築堤が崩壊するといったアクシデントにも見舞われています。

建設工事の指導を任されたエドモンド・モレルは「海の中へ鉄道を造れと言われたのは初めてだ」と、あきれたという話も残っています。(出典:『芝区誌』昭和13(1938)年3月芝区)

高輪築堤の開業!

難工事がようやく完了したのは、鉄道の正式開業直前の明治5(1872) 年9月でした。 「正式開業」といういい方になるのは、正式開業の明治5年9月の4か月前となる5月に品川〜横浜が、新橋〜横浜の「前段階」という位置付けで「仮開業」しているからです。ちなみに、政府要人がこれらの開業前に鉄道に試乗するケースもあったようで、鉄道建設には慎重派だった大久保利通は、乗車体験で「鉄道に国家の未来を感じた」高揚感を手記にしたため推進派に転じています。

高輪築堤の現在

高輪築堤の現在
高輪ゲートウェイ駅前で見つかった約380mの高輪築堤跡の遺構には、鉄道開業時の信号機跡と推定される遺構も含まれている。遺構の南部はゆるやかな弧を描くように、北部は直線的に構築されており、高輪海岸の当時の形状がうかがえる。

さて、150年近く前に造られた、世界でもめずらしい海上鉄道の遺構に対する保存策について、地域開発を手がけるJR東日本と、遺構の歴史的価値を重視する専門家の間で意見が分かれています。近代史・鉄道史の研究者らが「日本の近代化の幕開けと世界との接点を象徴する、きわめて重要な文化遺産」の全面保存と公開を求めていましたが、大部分が記録後解体され、一部のみ公開保存されています。

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全都道府県が出そろった好評のトリセツシリーズ。本書はそのなかでもとくに話題豊富な首都・東京の第2弾です。本書は地形、交通、歴史、産業・文化などのジャンルからその県ならではの知っておきたい面白いネタを拾ってきて紹介していますが、東京第2弾のコンセプトは「懐かしの東京を知る。江戸・明治・大正・昭和、時間を飛び越え、知らなかった東京を見つけよう!」。江戸城完成の秘密、高輪築堤出土!品川海上を走った鉄道、江戸幕府を支えた大名屋敷のいま、赤坂・麻布・青山は軍施設の密集地、飛鳥山に居を構えた渋沢栄一・・・などなど、今回もまた読み応えのある一冊に仕上がっています。

■第1章 地形から読み解くあなたの知らない東京

・最強の城・江戸城はこうして完成した/姿を消した渋谷川が再び川として蘇る
・九品仏川は矢沢川に乗っ取られた?
・標高たったの26m!? 家康ゆかりの愛宕山
・23区内にある低山は江戸時代に増えた!?
・品川台場のために切り崩された御殿山
・日本初の上水・神田上水から玉川上水へ
・東京市の水源確保のため多摩湖に沈んだ村
・八王子と町田の境界にある戦車道路とは?

■第2章 東京の知られざる鉄道・交通網

・高輪築堤出土!品川海上を走った鉄道
・新宿ゴールデン街を都電が走った!
・荒川放水路建設でねじ曲げられた東武線
・かつて山手線はチョコレート色だった!
・知られざる東京都港湾局専用線
・江戸川を走っていたマッチ箱電車とは?
・実働わずか8か月 国鉄武蔵野競技場線
・奥多摩駅のさらに奥に東京都専用の鉄道があった
・渋谷上空にロープウェイ!ひばり号とは?
・道として使われた川-江戸時代の舟運
・本土と伊豆諸島を繋ぐ東海汽船

■第3章 東京が誇る建造物・名建築をめぐる

・高級住宅地・世田谷に200年前栄えた城があった
・江戸幕府を支えた大名屋敷のいま
・大名庭園は金食い虫だった!?
・築地本願寺は海の上に建てられた
・阿吽の武士像が鎮座する迎賓館赤坂離宮
・明治・大正ロマンを感じる西洋建築
・都内最古の石橋・常磐橋
・まるで橋の博物館!隅田川橋梁群

■第5章 東京ゆかりの人物が愛した東京の街

・90年で引っ越し90回以上!葛飾北斎とすみだ
・正岡子規と文人の集う根岸の里
・飛鳥山に居を構えた渋沢栄一
・東急グループを作り上げた鉄道王・五島慶太
・西部王国を築いた堤康次郎と国立学園都市
・夏目漱石-『三四郎』が誕生した早稲田
・森鴎外が愛した千駄木
・青年期までの芥川龍之介を育んだ両国
・向島のラビラント-私娼窟・玉の井と永井荷風
・太宰治が好んだ三鷹の跨線橋も見納め?
・多くの文士・芸術家が集まった馬込文士村

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