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地名の由来:鎌倉時代からの観光名所?!城ヶ島(神奈川県)

観光名所の歴史としては、源頼朝をはじめとした鎌倉武士の来遊が伝えられています。その名残として、遊ヶ崎(あそびがさき)や神楽高根(かぐらたかね)などの地名のほか、城ヶ島灯台付近には腰元が浜遊びを楽しんだとされる酔女ヶ浜(すいじょがはま)、調理場だったまな板岩と呼ばれる場所もあります。

ちなみに、城ヶ島という地名の由来は、城郭があったから、尉(じょう)という人物が暮らしていたから、などと諸説ありますが不詳です。

地名の由来:金沢の中心地は、お坊さんの名前(石川県)

金沢の中心として栄えながらも、歴史的な要素も多い香林坊。香林坊(こうりんぼう)という地名は、文字どおり香林というお坊さんに由来するといわれます。もともとは越前の朝倉氏の家臣でしたが、朝倉氏が滅亡すると、比叡山延暦寺の僧となったようです。

のちに帰俗し、薬種商を営んでいた向田兵衛(むこうだひょうえ)の家に養子として迎えられ、向田香林坊と名乗って家業を継ぎました。

地名の由来:金沢にあるのに、近江町市場?!(石川県)

犀川(さいがわ)と浅野川の周辺には、かつてさまざまな市場が点在していました。享保6(1721)年、それらの市場が加賀藩によって金沢城に近い現在地に集められたのが近江町市場の始まりといわれており、以来300年の歴史を誇ります。日本海で獲れる海の幸や加賀野菜が並ぶ市場は、年中活気を欠くことはありません。

近江町市場の愛称は「おみちょ」。もともと青果を中心に取り扱っていた場所だったため、「官許金澤青草辻市場」という名称でした。それでは、近江町という名前はどこからきたのでしょうか。この由来については諸説ありますが、金沢を訪れた近江国(現在の滋賀県)の商人が定住して商いを始めたからという説が有力です。

近江商人は「三方よし」の考え方、つまり「売り手よし、買い手よし、世間よし」をモットーとしていました。商売を通じて人とのつながりや町づくりに貢献するという考えが、近江町市場が長く愛されるにいたった秘訣なのかもしれません。

地名の由来:ミステリアスな金沢の坂(石川県)

尾張町から主計町(かずえまち)茶屋街に下りる狭い石段があります。木が茂って昼間でも薄暗いことから、「暗がり坂」という名が付きました。尾張町界隈の旦那衆がこの坂を抜けて、主計町や東山の茶屋に人目を忍んで通ったといわれますが、それを「ひよどり越え」と呼びました。

「ひよどり越え」とは、源義経の騎馬隊が一ノ谷の戦いで急斜面を駆け下りて平氏を破った戦いぶりを表した言葉です。この戦法の思いきりのよさを、人目を気にしつつも茶屋街へ足しげく通う旦那衆の勇気と思いきりになぞらえたようです。日常をしばし離れて茶屋街へと向かうとき、彼らにとってこの坂は非日常や別世界への入り口だったのでしょう。

ほかにも別世界につながる坂といえば「あめや坂」です。いわれはあの有名な昔話のお話、ご存じでしょうか?

地名の由来:珠洲に残る馬と付く地名(石川県)

古来より、能登は馬産地として名馬を輩出してきました。なかでも鳳至郡柳田村(ふげしぐんやなぎだむら)(現・鳳珠(ほうす)郡能登町)を中心に生産された能登馬は、頑強な体と温厚な性格であったといいます。

一方、能登半島の先端、珠洲(すず)では「柴馬」と呼ばれる馬が活躍しました。

珠洲には、馬と付く地名が今も残ります。鳳至、珠洲の郡境に位置した馬渡(まわたり)地区は、中世、街道筋の要衝でした。地名辞典にその由来は不詳とありますが、ここから山1つを隔てた能登町には駒渡(こまわたり)という地区があり、駒が子馬を意味することから、かつてはともに馬産地だったのではないかと考えられています。また、馬緤(まつなぎ)という地名も残ります。源義経が奥州落ちの際に能登を経由したといわれますが、この地区の浜に馬をつないだことに由来するという説があるようです。

ちなみに、この馬緤にある常俊(つねとし)家で馬のものといわれる角が受け継がれているのも興味深いです。地名の確かな由来を知る由もありませんが、馬との深い結びつきがあったことは明白です。

地名の由来:生業を表す上九一色村(山梨県)

山梨県上九一色村は甲府市の南部に位置し、甲府を中心とした峡中と富士五湖を中心とした富士北麓地域に跨いだ地域にありました。村名の由来は武田時代の郷が木工業を生業としていたため「工一色」と呼ばれ、それらが9つの村から成り立っていたため「九一色」と呼ばれたとされています。上九一色村には、地域再編についても興味深い歴史があります。

地名の由来:八ヶ岳周辺の星の地名(山梨県)

山梨県と長野県にまたがる八ヶ岳の山麓、中部高地には、黒曜石(こくようせき)の採掘に関する本州最大の遺跡があります黒曜石は火山が生み出した天然ガラスで、狩猟採集民族であった縄文の人たちの暮らしには欠かせないものでした。

中部高地で黒曜石が出土する場所には「星糞峠(ほしくそとうげ)」「星ヶ塔」「星ヶ台」など、「星」がつく地名がたくさんあります。これは、足元でキラキラ光る黒曜石のかけらを、人々が空から降ってきた星のかけらだと信じたことが由来であるといわれています。

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