目次
- 地名の由来:アイヌ語由来の難読地名(北海道)
- 地名の由来:仙台藩白石城ゆかりの白石区(北海道)
- 地名の由来:イーハトーブの風景地 イギリス海岸(岩手県)
- 地名の由来:杜の都の森って??(宮城県)
- 地名の由来:金の産地を表す地名(茨城県)
- 地名の由来:なぜ「那須」がつく市や町が多い?(栃木県)
- 地名の由来:くるま→ぐんま(群馬県)
- 地名の由来:群馬が徳川氏発祥の地?!(群馬県)
- 地名の由来:鋸山の名の由来(千葉県)
- 地名の由来:高島秋帆と「高島平」の関係(東京都)
- 地名の由来:新たな宿場町!新宿(東京都)
- 地名の由来:一目瞭然、富士見坂(東京都)
- 地名の由来:望遠拠点の台場(東京都)
- 地名の由来:一丁倫敦、一丁紐育と呼ばれた丸の内(東京都)
- 地名の由来:「谷」のつく地名が多いのは?(東京都)
- 地名の由来:鎌倉時代からの観光名所?!城ヶ島(神奈川県)
- 地名の由来:金沢の中心地は、お坊さんの名前(石川県)
- 地名の由来:金沢にあるのに、近江町市場?!(石川県)
- 地名の由来:ミステリアスな金沢の坂(石川県)
- 地名の由来:珠洲に残る馬と付く地名(石川県)
- 地名の由来:生業を表す上九一色村(山梨県)
- 地名の由来:八ヶ岳周辺の星の地名(山梨県)
- 地名の由来:駿府城下町の名残を残す地名(静岡県)
- 地名の由来:ヤマトタケル由来の地名(静岡県)
- 地名の由来:洛中・洛外を分ける出入口だった地名(京都府)
- 地名の由来:大阪府の堺市、三国ヶ丘(大阪府)
- 地名の由来:高台「上町台地」の天王寺七坂(大阪府)
- 地名の由来:浪華八百八橋の名残、四つ橋(大阪府)
- 地名の由来:六甲山の由来に関する2つの俗説(兵庫県)
- 地名の由来:八宮まであった?!神戸の三宮(兵庫県)
地名の由来:鋸山の名の由来(千葉県)
三浦半島と房総半島のあいだ、東京湾の入口にあたる海域を浦賀水道といいます。ここを通る船舶が、古くから目印にしてきたのが鋸山(のこぎりやま)です。千葉県は平均海抜が約49mの「日本一なだらかな県」であり、最高峰の愛宕山でも標高408.2m。鋸山は千葉県に限定すれば高い山の部類ですが、それでも山頂の標高は329.5mほど。ではなぜ、鋸山が航行の目印になり得たのでしょうか。
それは、ギザギザと切り立った崖が目立つ独特の山並みで、遠くからでもひと目で鋸山と認識できるからです。一説では、この姿を鋸刃に見立てたのが鋸山の名の由来といわれています。
ところで、この山並みは自然にできたものではなく、房州石(ぼうしゅういし)という石材の採石でできたものなのです。
地名の由来:高島秋帆と「高島平」の関係(東京都)
東京・板橋区に「高島平(たかしまだいら)」の地名があり、地下鉄の駅名にもなっています。
名前の由来は、じつは長崎出身の西洋砲術家・高島秋帆(しゅうはん)にあるといいます。
アヘン戦争中の天保12(1841)年5月9日、高島秋帆による大規模な砲術の演習が行われました。場所は現在の高島平で、当時は徳丸ヶ原といわれた広大な農地・草地でした。この演習は総勢約100人に達する大規模なもので、見学したのは水野忠邦ほか幕府要職と諸大名、遠くから町民も見学しました。火縄銃しか知らない参観者が衝撃を受けた演習とはどのようなものだったのでしょうか。
地名の由来:新たな宿場町!新宿(東京都)
今や、東京副都心のターミナル、新宿駅。利用者数において世界一の駅としてギネスに認定され、「The busiest station(世界でもっとも混雑している駅)」と紹介されています。
新宿の町の歴史を遡ると、「新宿」の名称は、17世紀の末に、東海道の品川宿、中山道の板橋宿、日光街道の千住宿に次いで、甲州街道の「新たな宿場町」として開かれたことに由来します。当時は、徳川家に仕えた信州高遠(たかとお)藩の内藤家の屋敷が近くにあったところから「内藤新宿」と呼ばれていました。
地名の由来:一目瞭然、富士見坂(東京都)
東京には坂が多くさまざまな名前がついていますが、江戸時代につけられたものが多くあります。坂の名前は地元の江戸っ子たちがわかりやすくつけたため、結果、同じ坂名が複数存在することになりました。さらに坂名を分類すると、風景、町名・地名・大名屋敷名、寺社名、人名・動物名などに分けられます。
風景由来の坂の代表は富士見坂です。富士見坂は富士山がよく見える坂につけられました。ただ、江戸時代の富士見坂と違うのは、今に伝わるほとんどすべての富士見坂から富士山は見えないことです。
渋谷の宮益坂もかつて富士見坂といわれましたが、見えなくなったので宮益坂になりました。しかし、宮益坂のように坂名を変えたのは例外的で、ほとんどの富士見坂は名前を変えることなく、富士山がきれいに見えた坂として、現在に坂名を残しています。
地名の由来:望遠拠点の台場(東京都)
嘉永6(1853)年6月、黒船の来航により、幕府は江戸城が海から攻撃される危険性を痛感します。黒船の脅威を目の当たりにした幕府は、ようやく軍事力増強のため西洋式の軍事技術を導入し、軍制改革を実施。江戸湾に防衛拠点となる台場を築くことを決定します。
台場とは、大砲を設置するために海を土砂で埋め立てて周囲を石垣で固めた人口島のことで、「お台場」という名の由来は、幕府への敬意を示して台場に「お」を付けたからだといわれています。
地名の由来:一丁倫敦、一丁紐育と呼ばれた丸の内(東京都)
江戸時代には「大名小路」の名で呼ばれていた丸の内。「丸の内」の地名は「江戸城郭の内側」に由来しており、江戸城があった頃には有力大名の大きな上屋敷が建ち並んでいた土地でした。安政元(1855)年の大地震による大火で甚大な被害を被ったうえ、明治維新を迎えて大名家が解体されると、丸の内は土地の意味がなくなってしまいます。利用価値がないと、政府が判断した土地を半ば押しつけられる形で払い下げを受けたのは、三菱財閥の2代目総帥・岩崎彌之助でした。
一丁倫敦、一丁紐育
「三菱ヶ原」と呼ばれた荒れ果てた土地に、明治27(1894)年、岩崎は、イギリス人建築家・ジョサイア・コンドルの設計による「三菱一号館」を建てます。さらに、一号館を起点として、次々と煉瓦造り、3階建てのオフィス棟を建設。ロンドンのビルに似た煉瓦造り建築であったため、八重洲町通り(現在の馬場先通り)に出現した赤煉瓦のオフィス街は「一丁倫敦(ロンドン)」と呼ばれることとなりました。
開発が進み、鉄骨鉄筋コンクリート造のアメリカ式巨大オフィスビルが建造されることに。そして、アメリカ式のオフィスビル街ということで、このエリアの景観を一丁倫敦に対して「一丁紐育(ニューヨーク)」と呼ぶようになったのです。丸の内の開発の歴史は、当時の最先端建築についての歴史でもあるのです。
地名の由来:「谷」のつく地名が多いのは?(東京都)
渋谷、谷中のように、東京には谷のつく地名がたくさんあります。四ツ谷、市ヶ谷、阿佐ヶ谷、千駄ヶ谷、幡ヶ谷、茗荷谷(みょうがだに)、雑司ヶ谷、雪谷(ゆきがや)、祖師ヶ谷(そしがや)など各地域に谷が存在しているのです。
東京に多くある坂は、坂を上っては下る「対の坂」と捉える見方があります。
下ったところがU字型のすり鉢地形となり、東京独自の風景を作り出しているのです。
東京を理解するキーワードとして「すり鉢」に視点を当てると、東京の街がよく見えてきます。東京都心にみられる凹凸の谷状は、山間部にあるようなV字型ではなく、平らな台地面をえぐり取ったようなU字型をしています。谷以外の地名でも、窪や久保、沢や池が含まれているのは盆地や谷地であることが多いのです。
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