目次
- ジオパークとは?
- ジオパーク:洞爺湖有珠山ユネスコ世界ジオパーク(北海道)
- ジオパーク:アポイ岳ユネスコ世界ジオパーク(北海道)
- ジオパーク:糸魚川ユネスコ世界ジオパーク(新潟県)
- ジオパーク:山陰海岸ユネスコ世界ジオパーク(京都府・兵庫県・鳥取県)
- ジオパーク:隠岐ユネスコ世界ジオパーク(島根県)
- ジオパーク:伊豆半島ユネスコ世界ジオパーク(静岡県)
- ジオパーク:島原半島ユネスコ世界ジオパーク(長崎県)
- ジオパーク:下北ジオパーク(青森県)
- ジオパーク:男鹿半島・大潟ジオパーク(秋田県)
- ジオパーク:下仁田ジオパーク(群馬県)
- ジオパーク:佐渡ジオパーク(新潟県)
- ジオパーク:銚子ジオパーク(千葉県)
ジオパーク:洞爺湖有珠山ユネスコ世界ジオパーク(北海道)
洞爺湖は面積70.7㎢、中心に中島という島があり、湖畔には、昭和新山を含む活火山・有珠山(うすざん)があります。一帯は「洞爺湖有珠山ジオパーク」としてユネスコ世界ジオパークに認定されています。洞爺湖はそもそも、激しい火山活動によって誕生しました。約11万年前、日本列島最大級の噴火が起こり、大量の火砕流を放出し、地面にカルデラができました。そこへ雨水などが溜まったのが始まりです。
ジオパークの見どころ:洞爺湖に残る火山活動の痕跡
洞爺湖の激しい火山活動を物語るものは、水中にもあります。洞爺湖の水深は深いところで約180m。しかし中島の北東方向、700mほど離れた地点には水深1mほどの浅瀬があります。そこに見えているのはマグマが冷え固まったもの。つまり、中島を生んだ火山の頂上のひとつなのです。
そのほかにも、1943(昭和18)年からの有珠山の火山活動で誕生したのが昭和新山です。最近でも20~30年ごとに噴火している有珠山。その火山活動を詳しくのぞいてみましょう。
ジオパーク:アポイ岳ユネスコ世界ジオパーク(北海道)
北海道の中央付近を南北に連なる日高山脈。その南西端、様似町(さまにちょう)冬島(ふゆしま)漁港の東北東に位置する標高810mの山、それがアポイ岳です。2015(平成27)年にはユネスコの 「世界ジオパーク」 に認定されています。
ジオパークの見どころ:アポイ岳を構成するカンラン岩
このカンラン岩は、地球の内部、地殻の下、数10~60㎞の上部マントルの岩石が地表に現れたものです。アポイ岳はもちろん、隣のピンネシリ山を含む一帯がすべてカンラン岩でできているのです。これだけ広範囲なカンラン岩露頭は、世界でも非常に稀です。
約4000万年前、東側の北米プレートが西側のユーラシアプレートへ徐々に近づき、衝突しました。その後も北米プレートは西に動き続け、約1300万年前、プレートの先端がユーラシアプレートの上にめくれ上がるように乗り上げてできたのが日高山脈です。この地球規模といえる大変動の衝撃によって、地殻の下にあったマントルの一部が地上に押し上げられ、アポイ岳一帯ができたのです。こうして一帯は、地中深くにあるはずのマントル物質を目の当たりにできる奇跡の地となりました。
ジオパーク:糸魚川ユネスコ世界ジオパーク(新潟県)
糸魚川ユネスコ世界ジオパークは有珠山、島原半島とともに、2009年に日本で初めて世界ジオパークに認定されました。日本列島を分断する大きな断層を目の当たりにできる特異な地形が評価されたのです。
新潟県は、本州の中央部を南北に横断する巨大な地質の溝「フォッサマグナ」の最北端に位置しており、列島を東西に分断するフォッサマグナをまたいでいます。そして、糸魚川市には糸魚川-静岡構造線が走っています。フォッサマグナパークでは、糸魚川-静岡構造線のプレート境界や枕状溶岩を見ることができます。
ジオパークの見どころ:世界最古のヒスイ文化
約7000年前(縄文時代早期)の大角地(おがくち)遺跡(糸魚川市)からはヒスイでできたハンマーが、約5000年前(同中期)の寺地遺跡・長者ヶ原遺跡(同)からはヒスイの原石やつくりかけの大珠(たいしゅ)が見つかっています。ヒスイは単なる道具にとどまらず、魂を鎮める副葬品に使われるなど、「神秘の力が宿る石」として扱われてきました。そして、新潟・糸魚川のヒスイ文化こそは世界最古のものでした。
ヒスイ誕生のメカニズムを詳しく見てみましょう。
ジオパーク:山陰海岸ユネスコ世界ジオパーク(京都府・兵庫県・鳥取県)
太古から現在に至るまでの自然の歴史が刻まれた広大なエリアが山陰海岸ジオパークです。山陰海岸ジオパークは、京都府(京丹後市)、兵庫県(豊岡市、香美(かみ)町、新温泉町)、鳥取県(岩美町、鳥取市)にまたがり、沿岸には海食洞や段丘、砂丘など絶景スポットが多くあります。
ジオパークの見どころ:兵庫県エリアの絶景
兵庫県に含まれる地域は岬や入江が複雑に入り組んだ典型的なリアス海岸で、断崖や洞窟、奇岩が多くあります。これらの景色の一部は、山陰本線の車窓からも見ることもできます。
絶景スポットとしては、鎧の袖(香美町)、但馬御火浦(香美町・新温泉町)、釣鐘洞(香美町)のほか、豊富な海水浴場や、余部鉄橋と展望施設「空の駅」も挙げられます。
ジオパークの見どころ:京都府エリアの絶景
丹後半島の久美浜町には、景色が宮津市の天橋立に似た「小天橋(しょうてんきょう)」と呼ばれる砂州があります。日本海と久美浜湾を南北に隔(へだ)てるように延びる砂浜の長さは約8㎞。3つの海水浴場が連なる北近畿最大のロングビーチです。
約2万年前の最終氷期の海面は現在より100m以上も低い状態でした。小天橋は、最終氷期が終わって海面が上昇した際、もともと火山灰層が露出していた部分に砂州が成長してできたものです。砂州が湾の入り口をふさぐように長く延びたことで久美浜湾が形成されました。さらに、小天橋砂州の東の海岸沿いに東西約6㎞続く砂丘が生まれました。これが京都府内最大の丹後砂丘です。
また、網野町には、「鳴き砂」で名高い琴引浜(ことひきはま)があります。全長1.8㎞にわたる白砂と青松の景勝地です。そのほか、丹後半島には特徴的な地質遺産があります。
ジオパーク:隠岐ユネスコ世界ジオパーク(島根県)
2013年に認定された「隠岐世界ジオパーク」は、隠岐諸島の4つの有人島(知夫里島(ちぶりじま)、中ノ島(なかしま)、西ノ島(にししま)、隠岐島(おきのしま))と、180を超える無人島によって構成されています。陸域だけなく海岸から1㎞の海域を合わせた673.5㎢をジオパークの範囲としています。
ジオパークの魅力:隠岐諸島がはぐくむ独自の生態系
隠岐諸島は時代とともに、大陸の一部から日本列島の一部、離島へと変化したため、隠岐世界ジオパークには、独特の生態系が生まれました。
たとえば島後(隠岐の島町)南西部の奥津戸(おくつこ)海岸では、北方系のイタヤカエデやシナノキ、ユズリハと、南方系のトベラ、亜高山性(あこうざんせい)のオオイワカガミ、大陸性のダルマギク、ミツバイワガサなどが低地に混生し、不思議な植物分布をみせています。このうち本来亜高山帯に生えるオオイワカガミは、隠岐諸島が島根半島と陸続きだった時代に渡ってきたもの。離島になってからの隠岐の環境に順応し、低地でも生育できるような変異を遂げたのです。また、固有種の宝庫ともいわれ、貴重な生き物が数多く生息しています。
ジオパーク:伊豆半島ユネスコ世界ジオパーク(静岡県)
遥か昔、海底に沈んでいた伊豆半島はプレートの移動により南方から北上してやってきました。
世界的にもユニークな造形を見せる半島の成り立ちを見てみましょう。
駿河湾と相模湾を隔てて南北約50㎞に延びる伊豆半島は、一説によると、南海に突き出ているような形状から「出づ=伊豆」と呼ばれるようになったといいます。独自の地質学的価値からユネスコ世界ジオパークに認定されているこの半島の成り立ちは、約2000万年前にまでさかのぼります。
ジオパークの見どころ:南方から移動してきた海底火山群と本州が衝突した痕跡
約2000万年前、伊豆半島の原型は海底火山群で、本州から南に数百km離れた、現在の硫黄島付近の海の底にありました。海底火山群はフィリピン海プレート上にあり、そのプレート下部からマグマが発生しました。さらにフィリピン海プレートは、本州が載っているユーラシアプレートの下に沈み込んでおり、海底火山群は本州に引き込まれるように北上。同時に海底火山の一部は噴火を繰り返すことで海上に頭を出し、火山島となりました。
200万~100万年前くらいになると、火山島がつながって大きな陸地ができました。その陸地が本州に衝突し半島になったのが約60万年前のこと。半島になってから約20万年前までは、陸上の至る所で噴火が起き、天城山(あまぎさん)や達磨山(だるまやま)といった大型の火山ができあがり、ほぼ現在の伊豆半島の形になりました。
ジオパークの大地のなりたちがわかる見どころは「ジオサイト」と呼ばれ、伊豆半島全土に多数存在しています。
伊豆半島ジオパークミュージアム ジオリア
- 住所
- 静岡県伊豆市修善寺838-1修善寺総合会館内
- 交通
- 伊豆箱根鉄道駿豆線修善寺駅から東海バスまたは伊豆箱根バス修善寺温泉行きで6分、修善寺総合会館下車すぐ
- 料金
- 無料
ジオパーク:島原半島ユネスコ世界ジオパーク(長崎県)
1990年11月の普賢岳(ふげんだけ)の噴火は記憶に新しいところです。
198年ぶりの噴火でしたが、雲仙は50万年前から火山活動を開始、有史以来人々は火山とともに生きてきました。島原半島は2009年8月22日、日本で初めて世界ジオパークに認定されました。2015年、世界ジオパークがユネスコの正式事業になると同時に、島原半島は日本初の「ユネスコ世界ジオパーク」に認定されました。島原半島ユネスコ世界ジオパークのテーマは「人と火山の共生」です。
ジオパークのテーマ「人と火山の共生」
普賢岳は有史以降、3回噴火しています。1回目は寛文3(1663)年、普賢岳の北東山腹から古焼(ふるやけ)溶岩が流出しました。
続いて2回目が寛政4(1792)年に発生したより大規模な噴火で、火山災害としては日本最多の死者数を出しました。この災害がのちに「島原大変肥後迷惑」といわれるようになるのは、対岸の熊本や天草沿岸にも10mに達する津波が押し寄せ、島原半島で約1万人、熊本(肥後)・天草で約5000人もの死者・行方不明者を出したからです。
そして3回目は、元号が平成に改元された翌年の1990年11月17日、普賢岳が198年ぶりに噴火を始めました。1991年2月12日、マグマ水蒸気爆発に移行して激しい降灰をもたらし、降雨で土石流が発生します。同年5月20日、地獄跡火口から溶岩ドームが出現して火砕流や土石流を引き起こしました。その後、6月3日、大きな火砕流が発生し、東側の島原市上木場地区を襲います。さらに9月15日、最大規模の火砕流が発生することになるのです。
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