目次
- 廃線と廃線跡:東北本線旧線
- 廃線と廃線跡:宮城県内の鉄道
- 廃線と廃線跡:小坂鉄道(秋田県)
- 廃線と廃線跡:羽後交通雄勝線・雄勝線(秋田県)
- 廃線と廃線跡:山形交通(山形県)
- 廃線と廃線跡:水戸電気鉄道(茨城県)
- 廃線・廃線跡を地図から詳しく知るなら『レールウェイマップル』
- 廃線と廃線跡:常南電気鉄道(茨城県)
- 廃線と廃線跡:鹿島鉄道(茨城県)
- 廃線と廃線跡:塩原電車、日光登山鉄道(栃木県)
- 廃線と廃線跡:信越本線横川~軽井沢駅(群馬県)
- 廃線と廃線跡:赤城登山鉄道(群馬県)
- 廃線と廃線跡:東武熊谷線(埼玉県)
- 廃線・廃線跡を地図から詳しく知るなら『レールウェイマップル』
- 廃線と廃線跡:横浜市電(神奈川県)
- 廃線と廃線跡:新潟交通電車線(新潟県)
- 廃線と廃線跡:草軽電気鉄道(長野県、群馬県)
- 廃線と廃線跡:山梨交通電車線(山梨県)
- 廃線と廃線跡:国鉄佐久間線(静岡県)
- 廃線と廃線跡:静岡鉄道駿遠線(静岡県)
- 廃線・廃線跡を地図から詳しく知るなら『レールウェイマップル』
- 廃線と廃線跡:中央西線旧路線(愛知県)
- 廃線と廃線跡:名鉄瀬戸線土居下~堀川駅間(愛知県)
- 廃線と廃線跡:田口鉄道(愛知県)
- 廃線と廃線跡:福知山線生瀬~武田尾駅(兵庫県)
- 廃線と廃線跡:神戸市電(兵庫県)
- 廃線と廃線跡:一畑電車小境灘駅~一畑駅(島根県)
- 廃線・廃線跡を地図から詳しく知るなら『レールウェイマップル』
- 廃線と廃線跡:大社線(島根県)
- 廃線と廃線跡:旧JR三江線(島根県)
- 廃線と廃線跡:三蟠鉄道(岡山県)
- 廃線と廃線跡:呉電気鉄道(広島県)
- 廃線と廃線跡:小浜鉄道(長崎県)
- 廃線と廃線跡:山野線(鹿児島県、熊本県)
- 廃線・廃線跡を地図から詳しく知るなら『レールウェイマップル』
- 廃線と廃線跡:志布志線(鹿児島県)
- 廃線・廃線跡を地図から詳しく知るなら『レールウェイマップル』
廃線と廃線跡:旧JR三江線(島根県)
三江線の開業は1930年、最初に石見江津駅(現・江津駅)から川戸(かわど)駅の区間が開通しました。延伸を重ね1975年8月31日、開業から45年の歳月を経て全通しました。沿線住民の悲願でしたが、長い建設期間に社会のモータリゼーションや沿線地域の過疎化が進んで赤字路線となり、2018年に廃線となりました。
2018年3月31日の最終運行日、JR三江線はかつてないほどの乗客ですし詰めになり、ホームや沿道には同線との別れをおしむ群衆が押し寄せました。総延長距離100㎞を超えるJRの鉄道路線が廃止になったのは、本州では初めてです。
廃線跡:三江線跡で開催される石見川本レールバイク
川本町の石見川本駅では、川本町観光協会の主催でレールバイクイベントが不定期で開催されています。レールバイクとはレールの上を保線用カートで走行する新しいアクティビティで、現在エンジン式2機、足漕ぎ式2機の計4機があります。駅の南端から北端の切り替えポイントまで往復約400mを走行します。
廃線と廃線跡:三蟠鉄道(岡山県)
大正から昭和の初期にかけて、岡山の海の玄関口と市街地を結ぶ役割を果たしていた三蟠(さんばん)鉄道。運行期間が約16年と非常に短かったため、幻の鉄道と呼ばれています。
村長や地域の有志たちが港周辺の再活性化を目指し、1914(大正3)年2月1日に三蟠鉄道株式会社を設立。鉄道を敷設し、旅客や貨物を運ぶ混合列車を走らせたのが、その始まりです。三蟠駅~桜橋(さくらばし)駅の開業は1915(大正4)年8月11日。1923( 大正12)年2月5日に全線が開通します。
その後、三蟠鉄道はその役割を徐々に失っていきます。さまざまな要因が重なり、三蟠鉄道は1931(昭和6)年6月28日に運転を終了。わずか15年10カ月余りで廃線となったのです。
廃線と廃線跡:呉電気鉄道(広島県)
昭和30年代後半から40年代にかけ、大都市を含めた全国各地の路面電車は、廃止や大幅な路線縮小を余儀なくされていきました。呉電気鉄道は広島市内に電車が走る3年前の1909(明治42)年、西本通三丁目~本通九丁目の区間で操業を開始します。
戦時中は「造船のまち・海軍のまち」としてにぎわった呉市でしたが、終戦直後の空襲により市街地は大きな被害を受け、呉市電も破壊されました。3年後には全面復旧を遂げ、戦前と同じ区間で操業を続けてきましたが、呉市にもマイカーが増加。呉市電の経営を圧迫しました。追い打ちをかけたのが、1967(昭和42)年7月に呉市街地を襲った豪雨です。この災害による軌道の復旧補修に莫大な予算がかかることが決定打となり、同年12月に廃線。呉市街地から、路面電車が消えました。
廃線と廃線跡:小浜鉄道(長崎県)
明治44(1911)年、島原鉄道が愛野村(現・雲仙市)まで延伸してきました。そこで、小浜温泉までの鉄道を敷く機運が高まり、大正12(1923)年に愛野村駅(現・愛野駅)〜千々石(ちぢわ)駅9.3kmの温泉軽便(うんぜんけいびん)鉄道(のちに温泉鉄道に改称)が開通します。
さらに千々石から小浜温泉まで鉄道を敷設するため、小浜住民の有志が小浜鉄道を設立。ところが、この区間は山が海岸線ぎりぎり までせり出していて急傾斜の難所続きでした。工事に関わった労働者は延べ約20万人。5年半の歳月と約75万円(現在の貨幣価値で約40億円)を費やしてようやく完成し、昭和2(1927)年に千々石駅〜肥前小浜駅が開通しました。
しかし、開通はしたものの、当時すでにバス路線が地域に普及していました。
赤字経営となった温泉鉄道と小浜鉄道の2社は、昭和8(1933)年に合併し「雲仙鉄道」となるも、経営不振からは脱却できず、昭和13(1938)年ついに廃業。難工事を乗り越えての小浜鉄道の開通からわずか11年でその役割を終えることとなりました。
廃線跡:小浜鉄道に残る廃線遺構
約30mのホーム跡が残る木津の浜駅跡を千々石方面へ進んだところで見えてくるのは、車が1台通れるほどの幅の狭いトンネル。これが2つ続きます。「千々石第2・第1トンネル」です。石積みの馬蹄形トンネルは、鉄道があった頃の雰囲気を残していて、見るからに趣深いです。
木津の浜駅跡の南側にある切り通しは、両側から樹木が生い茂っていて木漏れ日が美しく、「緑のトンネル」と呼ばれています。長い年月をかけて切り開いた鉄道敷設の大変さがよく表れている場所です。
鉄道の終着駅である肥前小浜駅跡にも、当時のホーム跡が残っています。当時、旅行客はここから温泉旅館街までバスで移動していました。またここでは、千々石駅、木津の浜駅、富津駅の跡と同様に、当時の駅名表示板を模したと思われる石碑を見ることができます。
廃線と廃線跡:山野線(鹿児島県、熊本県)
山野(やまの)線は、かつて熊本の水俣と鹿児島の栗野(くりの)間を結んでいたローカル線です。大口(おおくち)盆地に開けた北薩(ほくさつ)地方の中心エリアを通る重要路線で、国見(くにみ)山地を越える山越えもあり、急勾配を避けるためループ線で克服するなどの特色がありました。
1921(大正10)年9月、ついに山野軽便線として栗野〜山野間が開業。翌年には山野線に改称され、1934(昭和9)年4月に山野西線として水俣〜久木野(くぎの)間が開業すると、山野線を山野東線と改称。1937(昭和12)年12月、さらに延伸した両者が結ばれ全通すると、線名は山野線に戻り完結しました。
険しい山越えで知られる山野線ですが、薩摩布計(さつまふけ)駅をサミット(頂点)として、その前後に33パーミル(1㎞で33mの高低差)の急勾配が連続。熊本、鹿児島県境となる久木野〜薩摩布計間には全長1236mの久木野トンネルのほか、ループ線(大川ループ)がありました。
国鉄分割民営化でJR九州の路線になり生きながらえたものの、1988(昭和63)年1月限りでついに全線が廃止されました。最終日の1月31日、沿線各駅や列車には別れを惜しむ人々が訪れ、沿線住民の約半数が見送ったといわれています。
廃線・廃線跡を地図から詳しく知るなら『レールウェイマップル』
1945年(昭和20年)の終戦以降に廃止となった鉄道路線を地図上に表示。かつての路線網の充実ぶりに驚かされます。各廃線にも解説コメントを添えるのはもちろんのこと、歴史的価値の高い建造物や橋梁、隧道(トンネル)などの遺構群のプロットにも注力。日本の発展とともに歩んだ鉄道の歴史を、地図を辿りながら読み解きます。
廃線と廃線跡:志布志線(鹿児島県)
志布志(しぶし)線は、かつて西都城〜志布志間を結んでいたローカル線です。国鉄線からSLが引退した1975(昭和50)年、九州では熊本、鹿児島鉄道管理局管内にだけSLが走っていましたが、志布志線はその最後の牙城だったことでも知られます。
志布志線の歴史は大正期に始まりました。鹿児島線が開通した頃、志布志線沿線の地域は道路事情が悪く鉄道の建設が望まれていました。1923(大正12)年1月に西都城〜末吉(すえよし)間が初開業し、延伸を繰り返し1925(大正14)年3月までに志布志駅まで全通。志布志線と命名されました。
志布志線は、ディーゼル列車に変わっても地域に親しまれ多くの列車を運転しましたが、進展するモータリゼーション、道路の整備、沿線の過疎化から次第に利用者が減少。第2次特定地方交通線になり廃止が承認されました。存続の願いむなしく1987(昭和62)年3月に廃止され、盛大な式典のもと63年間の歴史に幕を下ろしました。
廃線跡:志布志鉄道記念公園
志布志機関区や車掌区はなくなり、賑わった駅は1990(平成2)年に約70m北東に移設され、現在は日南線の無人駅としてひっそりと佇んでいます。
機関区の跡地の一部は「志布志鉄道記念公園」となり、志布志線で活躍したC58 112、車掌車のヨ8951、気動車のキハ52 130が保存され、往年の栄華を後世に伝えています。
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