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根来衆と雑賀衆の最新兵器鉄砲の威力をいかした戦法! 写真:123RF

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月13日

根来衆と雑賀衆の最新兵器鉄砲の威力をいかした戦法!

1543年に日本へと伝来した鉄砲。これをいち早く導入したのが和歌山の寺院「根来寺」でした。そして、鉄砲を主力とした傭兵集団も存在したのでした。

「根来衆」と「雑賀衆」は鉄砲で武装した傭兵集団

岩出市(いわでし)の根来寺(ねごろじ)は真言宗の一派、新義真言宗(しんぎしんごんしゅう)の総本山です。1130年に開祖の覚鑁(かくばん)が高野山に造営した小伝法院(しょうでんほういん)という一堂がはじまりとされ、1140年に現在の地へ移り、戦国時代には寺領72万石の大寺院となっています。

その根来寺の僧兵、津田監物(つだけんもつ)が種子島から鉄砲と火薬の技術を持ち帰り、門前町の鍛冶屋につくらせました。このとき製造されたのが、国産最初の1丁であるといいます。

「根来衆」と「雑賀衆」の兵力規模

鉄砲で武装した根来寺の僧兵集団は「根来衆」と呼ばれ、兵力は1万人にも達していたといいます。さらに当時の和歌山には、「雑賀衆(さいかしゅう)」という鉄砲を主力とする一団もいました。もともとは雑賀庄内(さいかしょうない)(現・和歌山市)の土着集団で、鉄砲を8000丁も保有する傭兵団でもあったといいます。また、熊野水軍の流れもくんでいたため、海運と交易が盛んだったばかりか、有事には水軍としても活動しました。

この根来寺と雑賀衆の関係は良好で、雑賀側の住民が根来寺に塔頭(たっちゅう)を建てることもありました。また使用した鉄砲も、根来衆が伝えたとする説があります。

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