更新日: 2024年1月13日
北海道開拓の試行錯誤~開拓使を設置して大量の資本と労働力を投入!~
明治政府は対ロシア政策の一環として、また日本の産業を近代化するために、開拓使を設置し、北海道開拓に資本を投入し進めました。
目次
北海道開拓への道のり①:大政奉還後の箱館
1867(慶応3)年、大政奉還によって徳川幕府が滅ぶと、翌年、五稜郭(函館市)にあった箱館奉行所に代わって箱館裁判所が設置されました。箱館裁判所は蝦夷地を統治するための地方政治機関であり、すぐに箱館府と改称します。
1868(明治元)年に榎本武揚(えのもとたけあき)率いる旧幕府勢力が箱館府を乗っ取り、五稜郭に立て籠もりますが、この箱館戦争は翌1869(明治2)年には明治新政府軍の勝利で終結しました。
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