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日米和親条約で箱館開港!東北六藩に分与された蝦夷地

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月13日

日米和親条約で箱館開港!東北六藩に分与された蝦夷地

アメリカから開国を迫られた幕府は、箱館を開港場所として選定します。
外国船の来港は、蝦夷地に大きな変化をもたらすのでした。

日米和親条約締結までの経緯①:蝦夷地がさらされたロシアの脅威

1792(寛政4)年、南下政策を進めるロシアのエカチェリーナ2世はラクスマンを日本に派遣。ロシアに漂着していた商船の船頭・大黒屋光太夫(だいこくやこうだゆう)を帰国させるとともに、江戸幕府に通商を求めました。

しかし、この交渉は不調に終わり、1806(文化3)年には択捉島(えとろふとう)や樺太がロシア人に襲撃される事件が勃発します。蝦夷地はロシアの南下政策の脅威にさらされていました。

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