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藤堂高虎とはどのような人物なのか?
藤堂高虎は、足軽から30万石を超える大名にまで出世した人物です。近江で生まれた藤堂高虎は、身長約190cmあったといいます。武勇に優れ、主君を7回も変えて巧みに戦国時代を生き抜きました。
藤堂高虎が仕えた主君と関わった城
最初に仕えたのは、浅井長政(あざいながまさ)です。その後、浅井家の家臣だった阿閉貞征(あつじさだゆき)や磯野員昌(いそのかずまさ)、佐和山城主の織田信澄(おだのぶずみ)と主君を変えて活躍。その実績を羽柴秀長(はしばひでなが)(秀吉の弟)に見込まれ、2万石の紀伊粉河(こかわ)(現和歌山県)領主となり、初めて大名になります。
1591年に秀長が没し、子の秀保(ひでやす)の後見人となりますが、4年後に秀保が変死。藤堂高虎は高野山へ入りますが、豊臣秀吉に懇願されて臣下となります。秀吉が死去すると、徳川家康に仕えました。家康はとくに、藤堂高虎に厚い信頼を寄せたといいます。
藤堂高虎が関わった城は、京都伏見城、赤木城、宇和島城、今治城(いまばりじょう)、江戸城、二条城、淀城などがあります。
藤堂高虎の高度な築城技術
藤堂高虎の築城技術の特徴は、一切の無駄を省いた「安い、速い、丈夫」です。まっすぐに高い石垣や、幅の広い水堀による守りのポイントは押さえつつ、城の構造はほぼ同じで、材料を事前に用意して効率的に築城できるよう工夫しました。江戸時代初期に造られた城の多くは、藤堂高虎の技術が使われたといわれています。
藤堂高虎が基本設計をした大阪城
現在、日本一の高石垣といわれるのは大阪城で、約32mあります。その石垣も、藤堂高虎が基本設計したもの。秀吉が造った大坂城は、徳川家と豊臣家が激突した大坂夏の陣(1615年)に焼失し、徳川の時代藤堂高虎が上野城で実践した技法で城を修築しました。
藤堂高虎の居城「津城」
藤堂高虎は城改修と城下町をつくり津が発展
城を改修した藤堂高虎は、城の周囲に武士と町人を集めて城下町をつくり、伊勢街道が城下町を通るよう変えました。のちに「伊勢は津でもつ、津は伊勢でもつ」といわれるほどの宿場町としてにぎわいました。そして、初代津藩主となった藤堂高虎から明治維新で廃藩となるまで、津藩は約260年間も続きました。
藤堂高虎は東京上野恩賜公園の藤堂家の墓に眠る
さて、藤堂高虎は、東京の上野恩賜公園内にある藤堂家の墓所に眠っています。現在の上野動物園あたりに下屋敷を構えた藤堂高虎は、家康のもとで上野東照宮の建立に関わりました。そのとき、藤堂家の菩提寺として、寛永寺内に「寒松院」を建立しました。
その寛永寺は、戊辰戦争の戦場となって焼失。現在は上野公園となっています。一説では、東京の上野の地名は、伊賀上野からつけられたといいます。
藤堂高虎にも愛された伊賀焼
伊賀には、奈良時代からの歴史をもつ伊賀焼があります。桃山時代の千利休や、茶人でもあった伊賀国の筒井定次や藤堂高虎などに好まれて発展していきました。
伊賀焼は、400万~300万年前に堆積した古琵琶湖層(こびわこそう)にある、耐火度が高い伊賀陶土を使用します。高温で焼かれることによって降りかかる薪(たきぎ)の灰が、緑色のガラス質のビードロ釉(ゆう)となります。これは、伊賀焼の技法として古くから伝わる自然の釉薬(ゆうやく)であり、伊賀ビードロともいわれています。
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・三重県を横切る中央構造線 南北で大きく異なる地質
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・尾鷲の雨量が尋常でないのは海流と大台ヶ原のせい?
…などなど三重のダイナミックな自然のポイントを解説。
Part.2 三重を駆ける充実の交通網
・伊勢湾を渡って川を越え鈴鹿峠へと向かう東海道
・三重と浜松、大阪がつながる!? 太平洋新国土軸構想とは
・御師の活躍で大いに賑わった内宮と外宮を結ぶ参宮街道
・鳥瞰図で見る 吉田初三郎が描いた約90年前の参宮街道
・初瀬街道の「あお」越えと便利な参詣システム伊勢講
・街道に餅が並んだ理由は? 吉野へと続く鯖&塩街道
・参拝客を運んだ神都線の路面電車 バス路線網で車両が復活!?
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・片道135㎞の路線もある! バス中心の三重の交通網
…などなど三重ならではの鉄道事情を網羅。
Part.3 三重の歴史を深読み!
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・あちこち巡行して決めた! 神宮が伊勢市にあるワケ
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・築城の名人藤堂高虎は7回も主君を変えていた!
・クジで藩の命運が決まった? 幕末・維新の桑名藩の顛末
・津から四日市、そして津へ コロコロ変わった県庁所在地
・鳥瞰図で見る 吉田初三郎が描いた約90年前の津
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