更新日: 2024年1月13日
藤堂高虎は築城の名人だが、主君を7回も変えていた!
戦国大名の藤堂高虎は主君をたびたび変えて出世していきます。最後の主君である家康からは全幅の信頼を得て、幕末まで続く津藩の礎を築きました。
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藤堂高虎が築いた名城「伊賀上野城」
伊賀上野城は築城当時、石垣の高さが日本一でした。西側の石垣は、じつに約30m。この名城を築いたのは藤堂高虎です。
上野城は、1585年に筒井定次(つついさだつぐ)によって築城されますが、天守閣は倒壊していたと思われています。家康の命で藤堂高虎が伊賀上野城を修築したのは、1611年のこと。大坂の豊臣方との決戦に備えた攻撃拠点とするもので、藤堂高虎が築城技術のすべてを結集して築いたとされています。
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