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萩往還は「御成道」として開かれた
萩城築城後の1604(慶長9)年、藩主が江戸に向かう際の「御成道(おなりみち)」として開かれたのが萩往還です。萩城下町から瀬戸内海の港町・三田尻までを結ぶ全長約53kmの道で、大内(おおうち)氏時代にある程度開かれていたものを、街道として再整備されたと考えられています。
長州藩では萩往還を山陽道や石州(せきしゅう)街道同様藩の大道(だいどう)(主要道路)と位置付け、道幅を2間(約3.9m)と定めました。道幅の中央には、幅約1mの石を敷き詰めています。現在は隙間のない石畳となっていますが、周辺から切り出してきた石がそのまま敷かれたと考えられています。道の両側には1〜3間(約2〜6m)間隔で松の木が植えられ、人馬の往来に必要な一里塚、旅人の休憩所である茶屋、藩主の宿泊所である御茶屋(佐々並(ささなみ)・山口・三田尻)なども整備されました。
街道の維持管理は、宰判(さいばん)(長州藩の行政区画で、いくつかの村の集合体)が担当しました。街道をいくつかに分割して宰判に割り振り、道が崩れるなどした場合は崩れた場所を担当する宰判から人を動員して修繕に当たらせます。長州藩にはおおよそ18の宰判がありましたが、萩往還の整備はそのうちの当嶋(とうじま)、山口、三田尻の3宰判が部分ごとに担当していたといわれています。
萩往還から出発する長州藩の参勤交代の道のり
長州藩の参勤交代を見てみましょう。長州藩を出発するのは旧暦4月(現在の5月)前後で、萩から江戸までの約260里(約1000km)を30日かけて移動します。出発の日は午前3時に起床し、午前4時(七つ)に出立。民謡「お江戸日本橋」で“七つ立ち”と歌われている通りです。
1日目の宿泊地である山口の御茶屋を目指し、約33kmを歩きます。一番の難所は、往還の中間地点に位置する「一ノ坂(いちのさか)」です。標高537mの板堂峠(いたどうとうげ)の途中にあり、西日本一急な坂という意味で一ノ坂と名付けられたという伝承を持つ険しい道です。この難所を行く旅人をもてなすために設けられたのが、六軒茶屋(ろっけんぢゃや)です。6軒の茶店があったことから名付けられた休憩所で、藩主が休息するための御駕籠建場(おかごたてば)も設けられています。
ここで短い休憩をとった一行は山口の御茶屋で1泊し、翌日は三田尻を目指します。三田尻に到着したら瀬戸内海経由で大坂へ渡り、船を乗り換えて淀川経由で京都の伏見へ。伏見からは東海道で江戸を目指します。最盛期には足軽から上級武士まで合計1600人以上の大所帯だったといいます。
萩往還は山陽と山陰を結ぶ重要な交通路だった
萩往還は江戸時代の庶民にとって、山陽と山陰を結ぶ交通路でした。当時の物流拠点は山陽道沿いに多く、特に下関と三田尻には多くの物資が集まっていました。その物資を萩城下町に運ぶ際にも、萩往還が使われたのです。幕末の志士たちも、萩からこの道を通って京都を目指しました。
明治時代後の道路整備により、萩往還の大部分は国道や県道・公道となりました。新たな道路を建設するために分断されたり、通行できなくなった部分もありますが、その多くは当時の面影を残したまま現在に至っています。1983(昭和58)年には大規模な補修工事が行われ、1989(平成元)年には国の史跡に指定。1996(平成8)年には文化庁から「歴史の道百選」に認定されました。萩・山口・防府(ほうふ)の3市では「やまぐち萩往還語り部の会」を結成。ガイドが萩往還を案内する土日祝限定のワンコインツアーを開催し、「歴史街道・萩往還」の魅力を伝えています。
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・岩の柱が林立! 玄武岩でできた俵島
・海上アルプスとも呼ばれる青海島の岩石造形
・3本の川による河川争奪の結末
・昔は陸続き!? 関門海峡誕生の秘密
・3つのマグマの胎動が鍵を握る萩と阿武の大地
・長門峡の成り立ちに迫る
・大畠瀬戸に渦潮が生まれる理由
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Part.2 山口を駆ける充実の交通網
・関門をつなぐ世紀の大事業は世界初の海底トンネルだった
・SL「やまぐち」号の勇姿/路線跡地を活用した遊覧車 一度は乗りたい! とことこトレイン
・山陽鉄道の建設を拒否した県都・山口の苦い歴史
・私道では日本一の長さ! 約32kmの宇部興産専用道路
・土木学会デザイン賞を受賞 絶景と調和した角島大橋
・藩主や維新志士も行き来した山陰と山陽を結ぶ萩往還
・下関と釜山を結ぶ航路は2国を結ぶ友好の懸け橋
…など
Part.3 山口で動いた歴史の瞬間
・周防鋳銭司は古代日本有数の造幣局だった!
・道真公が無実を願った場所に建立 日本初の天神さま
・平家一門最期の地・壇ノ浦
・西国の覇者が築いた「西の京 やまぐち」の基礎
・お家のために御屋形様を討つ! 陶隆房は逆臣だったのか?
・経済政策と人材育成で財政難を乗り切り雄藩に成長
・先人の情熱が生んだ錦帯橋
・奇数代藩主と偶数代藩主で菩提寺が違うのはなぜ?
・「巌流島の決闘」の真相とは
…など
Part.4 山口で生まれた産業や文化
・日本海側で夏みかん栽培? 廃藩後の萩経済を支えた主役
・全国からふぐが集まる下関
・近代捕鯨発祥の地・下関でおいしいくじら料理を食べる
・セメント町に硫酸町…地名に残る小野田の産業
・本州最西端の山口が工業県に発展したわけ
・伝統を今に伝える「錦帯橋のう飼」
・茶人に愛される萩焼の今昔とその魅力
・有楽町、原宿、代々木公園。周南市になぜ東京の地名が?
・萩市の世界産業遺産が語る長州藩のチャレンジ精神
…など
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