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杉原千畝は独断でユダヤ難民へビザを発給

多くのユダヤ人たちは国外逃亡をはかり、北へ逃げた彼らはリトアニアの日本領事館を目指しました。ポーランドやリトアニア国内でさえ反ユダヤ傾向が色濃い中、日本人は彼らユダヤ人への偏見を持っていなかったと考えられます。

1940(昭和15)年7月、ユダヤ難民は日本領事館に通過ビザ発行を求めたものの、日本が徐々にドイツと接近する中、ナチスへ反抗する行為は難しくなりました。実際に、杉原千畝は日本の外務省に許可を求めますが、答えは「NO」。手記によれば杉原千畝は一晩中考え尽くした結果、独断でビザを発給したのでした。しかし、その責任をとって杉原千畝は1947(昭和22)年、外務省を退職することになります。

功績が公に認められたのは、杉原千畝が亡くなって数年後。1991(平成3)年に当時の外務政務次官鈴木宗男(むねお)氏が杉原千畝の行動を評価し、生誕100周年に当たる2000(平成12)年、当時の外務相河野洋平氏が遺族に謝罪しました。迫害を逃れたユダヤ人が暮らすイスラエルや、リトアニアにも杉原千畝への感謝を表す記念碑などが建てられ、日本でも多くのメディアで取り上げられるようになります。

杉原千畝の名前の由来と出生地

杉原千畝は岐阜県の出身であり、出生地と言われる八百津町(やおつちょう)には「人道の丘公園」「杉原千畝記念館」などが建てられています。
杉原千畝の死後、妻である幸子氏が出版した本などによれば、出生地は「岐阜県加茂郡(かもぐん)八百津町」となっており、名古屋税務監督局の官吏である父・好水(よしみ)、母やつの次男として誕生したとされます。八百津の住所には母やつの実家があり、そこからは棚田が見え、畝(うね)が続く風景から「千畝」と名付けられたエピソードもあります。

しかし、遺族が戸籍謄本を調べてみると、本籍地は「岐阜県加茂郡八百津町」とあり、事項欄には「武儀郡上有知(むぎぐんこうずち)町で出生」と記載されているといいます。武儀郡上有知町は現在の岐阜県美濃市にあたります。該当住所には杉原千畝の父・好水が当時下宿していた寺があり、隣には勤務先の税務署がありました。寺の近くには「千畝町」という地名が存在し、これをもとに命名したのではないか、というのです。この論争の結論は定かではありません。

岐阜県加茂郡八百津町と、旧武儀郡上有知町(現美濃市)は直線距離にして20kmほど。八百津町には千畝の母親の実家があり、上有知町には父親の好水の職場があったといいます。

人道の丘公園・杉原千畝記念館

住所
岐阜県加茂郡八百津町八百津1071
交通
名鉄広見線明智駅からYAOバス八百津町ファミリーセンター前行きで30分、終点下車、タクシーで7分
料金
大人(高校生以上)300円、小・中学生100円(団体20名以上の場合は大人200円、小・中学生50円、介護が必要な場合は介護者1名を団体料金に割引)

杉原千畝は過去を語らず釈明せず機密情報を扱う外交官として生きた

杉原千畝は八百津で少年時代を送り、父の転勤に伴って三重や名古屋で過ごした後に早稲田大学へ入学。生活苦から退学し、公費で学べる外交官留学生試験に合格し、外交官への道を歩き始めたと言われています。

その後の功績は今こそ明らかになったものの、彼は、自らの過去を一切語りませんでした。釈明もしていません。機密情報を扱い続ける外交官として、一生を生き抜いたのかもしれません。

「うだつの上がる町並み」うだつって何?

杉原千畝の出生時、父親が働く上有知税務署があった現在の美濃市は、金森長近の時代に町並みが整備され、江戸時代に長良川の水運を生かし商業の町として栄えました。町家の屋根の端に設けた「うだつ」という防火壁が特徴で、現代にまで「うだつの上がる町並み」として残りました。
上有知が生んだ伝統産業・美濃和紙とコラボレートし、町並みを会場とした「美濃和紙あかりアート展」が好評です。

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地形、交通、歴史、産業…あらゆる角度から岐阜県を分析!

岐阜県の地形や地質、歴史、文化、産業など多彩な特徴と魅力を、地図を読み解きながら紹介するマップエンターテインメント。岐阜の知っているようで知られていない意外な素顔に迫ります。思わず地図を片手に、行って確かめてみたくなる情報を満載!

Part.1 地図で読み解く岐阜の大地

・海抜0mから標高3000mまで「飛山濃水」が表す岐阜県の多様性
・東高西低の美濃西部 西に集まる木曽三川と自噴水
・海なし県岐阜には海があった? 化石や史跡からわかる過去の海岸線
・濃尾大地震と根尾谷断層 世界最大級の地震断層の姿
・阿寺断層がもたらす渓谷美 美しいヒノキの原生林へ
・津川断層に沿って直角カーブ ブリと名声を運ぶ飛騨街道
・ダムがなかった長良川 治水対策の歴史と工夫
・伊吹おろしが運ぶ極寒と豪雪 寒さが産みだす名産の味とは
・活火山が作り出す風光明媚 御嶽山の火山災害の理由とは? ほか

Part.2 岐阜を駆ける充実の交通網

・東海道がない岐阜県を東海道本線が走る謎
・岐阜羽島駅は東海道新幹線きってのユニークな駅
・岐阜市を中心に展開した「名鉄600V線区」のネットワーク
・ちょっと分かりにくい?大垣駅~関ケ原駅間の鉄道ルート
・大垣市内にもある「東海道本線の終点」美濃赤坂駅
・第3セクター化されてやっと樽見にたどり着いた樽見鉄道
・大手私鉄の時代も経験して昔の名前に戻った養老鉄道
・かつての構想を路線名にとどめる長良川鉄道越美南線 ほか

Part.3 岐阜で動いた歴史の瞬間

・奇獣デスモスチルスから思い描く 太古の昔の岐阜の姿
・日本の真ん中で生まれた文化 前方後方墳が象徴するもの
・両面宿儺の伝説を経て、名を馳せた飛騨の匠
・木曽川が勢力分岐点!国境が承久の乱の舞台に
・関ヶ原で天下分け目の戦いが起こる理由~地形と3つの大戦~
・尾張や伊勢まで勢力範囲に! 土岐氏一族の栄枯盛衰
・斎藤道三と織田信長の美濃盗り 下剋上が導いた天下統一
・瀬戸から美濃への大移動 秀吉や家康をトリコにした美濃焼 ほか

Part.4 岐阜で育まれた産業や文化

・福澤桃介の木曽川水力発電が中京と関西を近代化させた!
・アパレル・窯業・伝統工芸品など「ものづくり」大国へと成長
・夏の世を彩る長良川鵜飼 苦難を乗り越えたかがり火
・世界遺産の白川郷に潜む隠された秘密とは
・神岡鉱山の跡地に生まれたカミオカンデの大躍進

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