更新日: 2024年1月13日
蝦夷地における和人とアイヌの攻防!
本州に和人の統一政権が誕生し、蝦夷地の先住民との交流が生まれるいっぽう、和人とアイヌのあいだで争いが起こるようになっていきました。
源義経はアイヌと暮らした?
1185(文治元)年、源頼朝は平家(伊勢平氏(いせへいし) )政権を打倒したのち、独断専行の目立った実弟・源義経を追放しました。義経は平泉(岩手県西磐井(にしいわい)郡)の奥州藤原氏を頼って落ち延びますが、頼朝に抗しきれなくなった藤原氏によって攻められ、自刃に追い込まれてしまいます。
史実としては以上のとおりですが、「実は義経は生きていて北海道まで逃げた」との伝承が北海道の各地で確認されています。たとえば義経神社(沙流郡平取町(さるぐんびらとりちょう))や義経岩(函館市)、義経の腰掛け松(函館市)などの名所には、義経ゆかりの伝説が残されており、一部にはアイヌと暮らしたとの逸話もあります。ただし、これらはあくまで民間伝承の域を出ないものです。
北海道の義経伝説
義経にまつわる伝説が残る場所。これらの伝説は、アイヌを支配するために江戸幕府が流布させたものと考えられます。しかし、中世の蝦夷地が流刑地であり、しばしば落ち武者の逃亡先にもなっていたことは確かです。
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