更新日: 2024年1月13日
牧野富太郎博士によって発展した日本の植物学、その功績を学ぶ
植物学者・牧野富太郎(まきのとみたろう)博士。1500種以上の植物を命名するなど、日本の植物分類学の発展に貢献した高知県出身の人物です。
目次
牧野富太郎を育んだ高知の台地は植物の宝庫
黒潮の影響を受けた温暖多雨な気候で、さまざまな地形や地質に恵まれた高知県。県内には石灰岩(せっかいがん)や蛇紋岩(じゃもんがん)など特殊な岩石が分布しており、約2700種類の植物が自生しています。高知県は、植物の宝庫なのです。
牧野富太郎博士は幼い頃から頭脳明晰
自らを「草木の精」と呼び、常に草木とともに生きた牧野富太郎博士は1862(文久2)年、高知県中西部に位置する佐川村(さかわむら)(現在の高岡郡佐川町)に生まれます。幼少のころから植物に興味を持ち、山野を巡って植物を観察。自宅近くの金峰(きんぷ)神社の境内で植物を採取するなど、植物への興味を広げていきました。
佐川村は学問が盛んな土地で、牧野富太郎博士は10歳のときに土居謙護(どいけんご)の寺子屋に入門。伊藤蘭林(いとうらんりん)の塾で漢学を、名教館(めいこうかん)で西洋の諸学科を学びました。12歳で小学校に入学しますが、学習内容に飽きてしまい2年で自主退学。自分で植物の名前を覚え、近隣に植物採集に出掛けるなど、独学で植物の研究に取り組みました。
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