更新日: 2024年1月13日
岩崎弥太郎が歩んだ道のり~下級武士から世界の実業家へ
海運業で成功し、三菱(みつびし)グループの基礎を築いた岩崎彌太郎(いわさきやたろう)。地下浪人(じげろうにん)という下級武士の身分から、「東洋の海上王」と呼ばれるまでになった、人生を振り返ります。
岩崎弥太郎は土佐に生まれ、類稀な勤勉さでさまざまな学問を修める
岩崎弥太郎は土佐国安芸郡井ノ口村(とさのくにあきぐんいのくちむら)(現在の安芸市井ノ口)に、地下浪人の子として誕生しました。岩崎家はもともと郷士の身分でしたが、曾祖父の代に困窮して郷士株を売却。郷士より身分は低いが下級武士としての家柄を存続させることが許されました。
岩崎弥太郎の勤勉さは家系によるもの
岩崎家は学問に熱心な家系で、大叔父は近隣で私塾を開いていました。また義伯父・岡本寧浦(おかもとねいほ)は土佐藩有数の儒学者であり、岩崎弥太郎は現在の高知市にあった義伯父の私塾・紅友舎(こうゆうしゃ)でも学んでいます。こうして岩崎弥太郎は、幼いころからさまざまな学問を身に付けていきました。
20歳のとき義伯父の伝で江戸遊学が叶い、安積艮斎(あさかごんさい)の見山楼(けんざんろう)に入塾。非常に優秀な成績を収めますが、父親が庄屋とトラブルを起こして大怪我をしたことから帰国を余儀なくされます。もしここで帰国していなければ、岩崎弥太郎は実業家ではなく学者になっていたかもしれません。
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