更新日: 2024年1月13日
ジョン万次郎が辿った波乱万丈の生涯~土佐から北アメリカ大陸へ!
漁の最中に遭難し、アメリカの捕鯨船に救助された万次郎(まんじろう)。帰国後に彼がもたらしたアメリカ本土の技術や思想は、開国前後の日本に大きな影響を与えました。
ジョン万次郎誕生は漂流から始まった
ジョン万次郎は1827(文政10)年、中浜(なかのはま)(現在の土佐清水市中浜)で貧しい漁師の次男として生まれました。9歳から家計を助けて働き、14歳で宇佐(うさ)(現在の土佐市(とさし))の延縄漁船にかしき(魚を針から外したり食事の世話をしたりする見習い)として雇われました。
1841(天保12)年1月5日、ジョン万次郎は初めての漁に出ます。船は宇佐の西浜(にしはま)(現在の土佐市宇佐町)を出漁し、足摺岬の東の沖合に到着。そこで漁をしていたのですが、「あなせ」と呼ばれる北西の風に押され南東方面に流されてしまいます。
ジョン万次郎を乗せた船は土佐から750km離れた離島へ漂着
やがて船は黒潮に乗って大海原を漂流し始め、足摺岬から約750km離れた伊豆諸島の最南端に位置する火山島・鳥島(とりしま)に漂着。ジョン万次郎たちは飢えと渇きに苦しみながら、助けが来るのを待つこととなりました。通常の黒潮に乗った場合、八丈島より南にある鳥島には漂着しません。ジョン万次郎たちの乗った船は、黒潮大蛇行に捕まったのではないかという説もあります。
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