目次
【北海道の歴史】縄文時代の生活
やがて縄文時代になると、世界規模で温暖化が進み、氷河が溶解して海面の上昇(縄文海進(かいしん))が起こります。そして、縄文時代前期には北海道は現在の形状・自然環境に近いものになっていったのです。かくして定住型の狩猟採集生活が営まれるようになります。
噴火湾沿岸部では北黄金貝塚(きたこがねかいづか)(伊達市)、入江(いりえ)・高砂(たかさご)貝塚(虻田(あぶた) 郡洞爺湖町(とうやこちょう))をはじめ数多くの貝塚が確認されており、北小金貝塚からは、現在ではほとんど捕獲されない暖流系のマダイやスズキなどの骨が出土していることから、現在より少し温暖だったことが推測されます。
縄文遺跡の分布
約6000 年前(縄文前期)が海面水位のピークで、現海岸線から離れた内陸部に当時の貝塚があります。道東・道北の遺跡が少ないのは、縄文後期に気候が寒冷化したためと考えられます。
【北海道の歴史】独自の歴史をあゆむ
このあと本州は稲作中心の弥生時代に突入しますが、稲作が伝播しなかった北海道では独自の文化(続縄文(ぞくじょうもん)文化、オホーツク文化、擦文(さつもん)文化)が展開していきます。
【北海道の歴史】北海道について記述のある『日本書紀』
なお、北海道について記述した文献としては720(養老4)年に成立した『日本書紀』があり、阿倍比羅夫(あべのひらふ)と協力して「粛慎(みしはせ)」と戦った「渡嶋蝦夷(わたりのしまのえみし)」の名が見えます。「渡嶋」とは津軽海峡を越えた北海道南部と考えられており、そこに住む人々を「蝦夷」と記しています。奈良時代から平安時代中期頃までは「えみし」と読んでいましたが、平安時代後期(11世紀~12世紀)には「えぞ」と読むようになったのです。
【北海道の歴史】人々の呼び方も歴史とともに変化
蝦夷とは特定の民族を指すのではなく、「律令国家(りつりょうこっか)に従わない東北以北に住む人々」を意味する言葉でした。律令国家の支配領域が拡大し、東北以北での「蝦夷」が津軽地方北端部、北海道、千島(ちしま)に限定されるようになると、次第に特定の地域や民族を指す言葉へと移行していったのです。
そして鎌倉幕府が成立する頃になると、「北海道に住む擦文文化圏の人々(=アイヌの祖)」を意味するものとして定着していくのでした。
『北海道のトリセツ』好評発売中!
地形、交通、歴史、産業…あらゆる角度から北海道を分析!地図を読み解きながら紹介するマップエンターテインメント。北海道の知っているようで知られていない意外な素顔に迫ります。思わず地図を片手に、行って確かめてみたくなる情報を満載です!
『北海道のトリセツ』見どころ―目次より抜粋
Part.1 地図で読み解く北海道の大地
地球規模のプレート運動が北海道の大地と山々をつくる!
むかわ町穂別で発見された新種恐竜カムイサウルスとは!?
国内最大の湿地・釧路湿原が3000年以上も陸地化しない謎 ほか
Part.2 北海道を駆け抜ける鉄道網
日本初の軌道交通は茅沼を走り手宮~札幌に道内初の本格鉄道
ゴムタイヤで性能は上々 札幌市営地下鉄3路線の実力
樺太の鉄道と稚泊連絡船 最北の鉄路・宗谷本線 ほか
Part.3 北海道で動いた歴史の瞬間
4000年前の縄文時代に築かれたストーンサークルとは何か?
海を駆け巡る北の民アイヌ 樺太進出を狙い元と戦う!
松前藩が誕生し支配体制が確立! 南下を狙うロシアとのにらみあい
土方歳三の戦死で戊辰戦争終結! 旧幕府軍が描いた蝦夷共和国とは ほか
Part.4 北海道で育まれた産業や文化
150年で200万都市へ成長! 道都・札幌が大発展した理由とは?
北海道らしい大規模農業は開拓時代に黒田清隆が提唱した!
サッポロビールにニッカウヰスキー 北の大地で銘酒が誕生するまで ほか
<コラム>
データで分かる全189市区町村 人口、所得、農業・漁業
初三郎が描いた北海道の鳥瞰図
過酷な気候と労働が生んだ 小林多喜二のプロレタリア文学
『北海道のトリセツ』を購入するならこちら
※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。
まっぷるトラベルガイド編集部は、旅やおでかけが大好きな人間が集まっています。
皆様に旅やおでかけの楽しさ、その土地ならではの魅力をお伝えすることを目標に、スタッフ自らの体験や、旅のプロ・専門家への取材をもとにしたおすすめスポットや旅行プラン、旅行の予備知識など信頼できる情報を発信してまいります!