更新日: 2024年1月13日
古墳が開く古代への扉~古墳から見える各地方の歴史
全国に約16万基あるという古墳。
各地に残る古墳は、ヤマト政権の影響が広く及んだ証拠ともいえます。
古墳から見える各地の歴史を辿ってみましょう。
古墳から見える歴史①:東北地方
雷神山古墳:東北最大規模の前方後円墳(宮城県)
弥生時代が進むと、穀倉地帯であった仙台や名取には、富を得た権力者が生まれました。
彼らは大和王権の支配下に入り、巨大古墳築造の許可を得ます。
古墳時代の始まりです。4世紀に造られた名取市の雷神山古墳は全長168m、後円部径96m、高さ6mの前方後円墳で、東北一の大きさを誇ります。埋葬されたのは、仙台や名取一帯のかなり広い地域を治めていた強力な豪族であると考えられています。
会津大塚山古墳:東北最古の前方後円墳(福島県)
会津盆地東部の大塚山山頂にある会津大塚山古墳(会津若松市)は全長114mの前方後円墳で、その後円部分の径は70mと大きく、福島県内では亀ヶ森古墳(河沼郡会津坂下町(あいづばんげまち))に次ぐ規模を誇ります。築造年代は4世紀後半と推定されており、東北地方では最古の部類に入る古墳です。
この古墳からは、三角縁神獣鏡(さんかくえんしんじゅうきょう)、銅鏃(どうぞく)(青銅製の鏃)、三葉環頭大刀(さんようかんとうのたち)など、他の古墳からはあまり見つかっていない品々が出土しているところも、会津大塚山古墳の特徴といえるでしょう。
畿内(きない)のヤマト王権は、服属した豪族に対して前方後円墳の築造を許可するとともに鏡を贈っていました。会津大塚山古墳の三角縁神獣鏡もヤマト王権から贈られたもので、これはヤマトが自作した“国産”の鏡でした。
角塚古墳:日本最北の前方後円墳(岩手県)
前方後円墳とは、元来は3~4世紀頃に畿内に誕生したヤマト王権が用いた墓制です。ヤマト王権に服属した各地の首長に造営が許されたものであり、前方後円墳の被葬者はヤマトとのつながりがあった人物と考えられます。古代における岩手県域の中心地は胆沢地方で、5世紀後半頃になると、胆沢平野の中央に角塚古墳(奥州市)が造営されます。
岩手県域で確認された古墳の大半は、7~8世紀の「末期古墳」と呼ばれる小規模な円墳からなる群集墳であり、前方後円墳はこの角塚古墳のみ。もっとも近い前方後円墳(宮城県大崎地方)からは約70kmも離れており、日本最北の前方後円墳です。角塚古墳は、ヤマト王権の支配が及んだ北限の地と考えられます。
※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。
まっぷるトラベルガイド編集部は、旅やおでかけが大好きな人間が集まっています。
皆様に旅やおでかけの楽しさ、その土地ならではの魅力をお伝えすることを目標に、スタッフ自らの体験や、旅のプロ・専門家への取材をもとにしたおすすめスポットや旅行プラン、旅行の予備知識など信頼できる情報を発信してまいります!