藤原純友の乱が勃発する背景
ここで登場するのが、藤原純友です。藤原純友は名門・藤原北家の出身でしたが、傍流なので中央での出世は望めませんでした。932(承平2)年、親戚筋(父親のいとこ)である藤原元名(もとな)が伊予介(国の行政官として2番目の地位)に任ぜられると、彼に引き立てられて伊予掾(介の次の地位)に推挙されます。
藤原元名とともに伊予国に赴任した藤原純友は、935(承平5)年の末に帰京。936(承平6)年3月には海賊追捕宣旨を受け、伊予守(かみ)(国の長官)紀淑人(きのよしひと)とともに兵を率いて京を出発しました。海賊追捕は成功し、その年の秋頃には海賊活動はほぼ収まったようです。しかし藤原純友は、任期が過ぎても京に帰って来ませんでした。939(天慶2)年12月、伊予国から「藤原純友が兵を率いて海に出ようとしており、上官の紀淑人が制止しても言うことを聞かない。国内が騒然としているので、純友を京に召し上げてほしい」という手紙が届きます。後に大きく発展する、藤原純友の乱の幕開けでした。
藤原純友の乱が勃発
このとき藤原純友が拠点にしたのが、断崖に囲まれた宇和海(うわかい)最大の島・日振島(ひぶりじま)です。なぜこの場所を拠点にしたのかは分かっていませんが、日振島は宇和海や九州を北上する船を見張りやすい位置にあり、風待ち・潮待ちの場所としては最適でした。伊予国西岸と豊後国(ぶんごのくに)東岸のほぼ中間に位置していることから、伊予国と豊後国を結ぶ交通の要衝としてこの島に着目した可能性もあります。
藤原純友は京へ向かおうとするも朝廷が追捕軍を派遣
乱の勃発を受けて朝廷は、まず藤原純友を懐柔する方向で動きました。当時関東地方で勃発していた平将門の乱を鎮圧するのに精一杯で、伊予国に軍を割く余裕がなかったのです。
940(天慶3)年1月、朝廷は藤原純友に「海賊討伐に対する褒美として官職を与えるので、京に戻ってくるように」と提案。藤原純友はその提案をのみ、一度は京へ向かおうとします。しかし同年2月、藤原純友にとっては不運なことに平将門の乱が平定されてしまいます。
朝廷は藤原純友追捕を命じ、小野好古(おののよしふる)を総大将とした藤原純友追捕軍を差し向けます。8月には朝廷軍が伊予国に到着し、純友軍と朝廷軍は瀬戸内海で局地戦を繰り広げました。周防国鋳銭司(すおうのくにじゅぜんし)の焼き討ちや土佐国での合戦など、反乱の規模は徐々に拡大。941(天慶4)年5月には西国の最重要拠点である太宰府まで藤原純友の手に落ちます。しかし太宰府はすぐに朝廷軍に取り返されてしまい、藤原純友も博多津(はかたのつ)(現在の博多湾)の戦いで敗北。響灘(ひびきなだ)で船を捨てて逃げますが6月20日の合戦で討ち取られ、乱は終息しました。
藤原純友はなぜ反乱を起こしたのか?
藤原純友は、なぜ反乱に踏み切ったのでしょうか。「海賊追捕の恩賞に対して不満があった」「純友の支配下にあった富豪浪人層と、国衙(こくが)が対立した」「瀬戸内の交易を独占しようとする摂関家と、瀬戸内西部で活躍する海民集団が対立した」などの見解が示されていますが、藤原氏の専横に苦しむ民衆を救おうとした改革の先駆者だったという見方もあります。
藤原純友に関しては史料がほとんど残っていないため真相は不明のままですが、地元では「藤原純友は賊ではない」と語り継がれています。
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