更新日: 2024年1月13日
藤原純友の乱の真相とは?地方官僚が起こした反乱に残る多くの謎
平安時代中期、藤原純友(ふじわらのすみとも)が伊予国(いよのくに)で反乱を起こしました。朝廷から瀬戸内海の海賊を討伐する任を受けて伊予国に出向いた藤原純友に、何があったのでしょうか。
藤原純友の乱が起こる以前の瀬戸内の状況
平安時代、日本の中心は京都にありました。京都には全国各地から米や官物(かんもつ)(租税として朝廷に納入された物)が貢納されますが、それらは陸路で輸送されることがほとんどでした。しかし8世紀半ばになると海上輸送が容認され、西日本の海は海上交通の要衝となりました。特に瀬戸内海は九州と近畿地方を結ぶルートであったことから、文化と物流の大動脈として発展していきました。
海上輸送路の発達とともに横行するようになったのが、航行する船舶を狙う海賊です。800年代後半になると、海上交通の活発化と律令制支配の衰退による治安の悪化を反映し、瀬戸内海に海賊が頻発。本格的な取り締まりによって一旦は沈静化しますが承平年間(931~938年)には再発し、朝廷は海賊を鎮めるための対策に追われることとなりました。
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