更新日: 2024年1月13日
かつて淡海乃海と呼ばれた琵琶湖周辺が近江となったワケ
滋賀県の旧国名「近江(おうみ)」は飛鳥時代から使われていました。その起源をひもとくと、琵琶湖の存在と都からの距離が深く関係していたようすがみえてきます。
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『万葉集』では「淡海乃海」『古事記』では「淡海」呼び名は統一されていなかった
滋賀県のシンボルである琵琶湖は『万葉集』では「淡海乃海(あふみのうみ)」、『古事記』では「淡海(あはうみ)」や「近淡海(ちかあはうみ)」と表記されています。淡海は湖を表わします。読み方は「あはうみ」が「あふみ」へ変化し、やがて「おうみ」となりました。
史書『先代旧事本紀』には、ヤマト王権の官職である淡海国造(おうみのくにのみやつこ)が琵琶湖西岸の淡海国を支配したと記されています。また、飛鳥京(あすかきょう)から藤原宮(ふじわらのみや)時代に至る時代の遺跡から発掘された木簡にも「淡海」という文字が確認できます。しかし木簡には「近淡」「近水海」と書かれた文字もあることから、古代日本では地名の書き方は複数あり、琵琶湖の呼び名と表記は統一されていなかったことがよくわかります。
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