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「八代臨海工業地域」と呼ばれ昭和前期は最盛期

1890(明治23)年には、周辺に豊富にある石灰岩を活かして、日本セメント八代工場が九州初のセメント工場として創業、1980(昭和55)年に閉鎖となるまで創業していました。現在、その跡地にはショッピングモール「ゆめタウン八代」が進出しています。また、1896(明治29)年には、東肥(とうひ)製紙工場が坂本村(現在の八代市坂本町)につくられました。これも製紙工場としては九州初で、現在、八代市十条町にある日本製紙八代工場の前身です。こうして八代の工業都市化が進んでいきました。

1912(大正元年)には、日本窒素肥料(現在のチッソ)の鏡工場も進出、さらに1939(昭和14)年には昭和酒造の八代工場(現在のメルシャン八代工場)が稼働。その後、戦中、戦後を通して田園地帯や海岸埋立地に新しい工場が立ち並び、「八代臨海工業地域」と呼ばれるようになり、空前の繁栄期を迎えました

八代工業地帯は一時停滞するも港の整備で盛り返しをはかる

一時期は、会社勤めひとり当りの給料が熊本市の1.7倍、工場出荷額(ひとり当り)は2.5倍にもなり、八代市内の歓楽街や日奈久(ひなぐ)温泉の賑わいは熊本一となって、八代の繁栄はまさにピークを迎えます。しかし、その賑わいは1973(昭和48)年のオイルショックや公害問題で鎮静期を迎えることとなりました。

その現状を打破するために、1966(昭和41)年には、八代港の外港地区岸壁の整備が始められ、現在までに主に外貿貨物を扱うふ頭として、10m岸壁4バース、12m岸壁1バース、14m岸壁1バース、さらに10mクルーズ船専用岸壁が完成し、熊本県最大の港湾となっています。また、八代港から九州縦貫自動車道や南九州西回り自動車道、国道3号、九州新幹線等へのアクセス道路も整備され、海陸の交通ネットワークが整えらました

八代は工業地帯として未来を担う

現在、八代市を代表する企業としては、前述した日本製紙八代工場、メルシャン八代工場の他に、YKK傘下のアルミ建材の製造を行うYKK AP九州製造所、フィルム関連メーカーである興人フィルム&ケミカルズの八代工場、ヤマハ発動機グループの一員でヤマハ船外機を製造しているヤマハ熊本プロダクツなどが挙げられます。なお、八代市統計年鑑(2020年度版)によると、2016(平成28)年6月1日現在、八代市の製造業の事業所数は362所、従業員数は7276人、運輸業・郵便業の事業所数は148所、従業員数は3103人となっています。これはいうまでもなく熊本市に次ぐ規模であり、今も八代は南九州における製造拠点のひとつとして未来を担っているのです。

環境モデル都市を目指す水俣市

1956(昭和31)年5月、熊本県水俣湾周辺で四肢末端の感覚障害、運動失調などの症状を訴える患者が急増して、「水俣病」と名づけられました。原因は、チッソ水俣工場から排出された工業廃液に含まれていたメチル水銀でした。その後、485億円をかけて水俣湾は埋め立てられ、1997(平成9)年になって、ようやく熊本県知事が「水俣湾の安全宣言」を行いました。現在水俣市では、水俣病の被害を語りつぎ、こうした公害を二度とおこさないため、世界の環境モデル都市として積極的な取り組みを行っています

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Part.1 地図で読み解く熊本の大地

・激しい地殻運動が生んだ熊本県の変化に富んだ地形
・御船町でさまざまな恐竜の化石が発見されるのはなぜか?
・阿蘇で今も語り継がれる「健磐龍命蹴裂伝説」の謎
・南北に分断された九州がひとつになった理由とは?
・4つの川は熊本にとって恵みの存在なのか?
・ちょっと不思議な天草諸島の地形はどうやってできたのか?
・熊本は「火の国」ではなく、実は「水の国」だった!?

…などなど熊本のダイナミックな自然のポイントを解説。

Part.2 熊本を駆け抜ける鉄道網

・熊本の物流を支える鉄道はどうやってつくられたのか?
・熊本電鉄の路線で、“懐かしの車両”に出合えるのはいったいなぜなのか?
・2020年7月豪雨で存亡の危機に! 果たして肥薩線は復活できるのか?
・全線不通から全線開通は可能か? くま川鉄道と南阿蘇鉄道の挑戦は続く
・熊本を走る観光列車のいろいろ。その歴史と魅力を知っておこう!
・九州新幹線の開通で人の流れは変わったのか?

…などなど熊本ならではの鉄道事情を網羅。

Part.3 熊本で動いた歴史の瞬間

・旧石器時代の沈目遺跡の打製石器は誰がつくったのか?
・弥生時代の熊本は鉄器製造の一大産地だった!?
・菊池を450年にわたって支配した大豪族・菊池氏の正体は?
・肥後を支配した守護代「大友氏」の壮絶な家督争いとは?
・加藤清正が「セイショコさん」と呼ばれ、今でも熊本県民に慕われるワケは?
・西南戦争における最大の激戦「田原坂の戦い」とは?
・軍都へと変貌していった熊本県と熊本城の運命は?

…などなど、激動の熊本の歴史に興味を惹きつける。

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