熊本城の地震被害の歴史
実は熊本城が地震被害にあったのは、今回が初めてのことではありません。熊本は江戸時代だけでも26回も地震に見舞われ、熊本城にも被害が出ていました。たとえば、1625(寛永2)年には「地震によって、熊本城の天守、城中の家は空木ばかりになり、瓦も皆崩れ落ちた」と記録されています。また1877(明治10)年には、西南戦争中の “謎の出火”で天守・本丸御殿が消失。それから11年後の1889(明治22)年に起きた地震(金峰山地震)でも、石垣崩壊・石垣孕み出し・崖崩壊など69カ所の被害が生じたと記録されています(「震災ニ関スル諸報告」宮内庁宮内公文書館蔵)。
このとき、復旧を進めたのは城を管理していた陸軍でした。さらに1927(昭和2)年には、市民が募金活動を行い、荒廃して見る影もなくなっていた宇土櫓(うとやぐら)の解体修理も行われました。このとき、修復設計や入札は第六師団が行い、土地と建物は陸軍が無償で貸し、宇土櫓以外の櫓は陸軍省の費用で修復されました。そして、熊本城に対する市民の熱い思いが、戦後の1960(昭和35)年の大小天守の外観復元につながったとされます。
熊本城の地震被害は1889年よりも2016年のほうが大きかった
ちなみに、1889年の地震で生じた69カ所の被害箇所のうち53カ所は、2016年の熊本地震での被害箇所と重複していました。ただし、崩落面積は2016年の熊本地震のほうが約2倍にもおよんでいました。それだけ2016年の地震の規模が大きく、復旧にもより時間と費用がかかることになりますが、2021(令和3)年5月末現在、13万8143件(48億9628万7310円)の寄付が集まり、熊本城全体の完全復旧を目指して、多くの人々の努力が今も続けられています。
熊本城
- 住所
- 熊本県熊本市中央区本丸1-1
- 交通
- JR熊本駅から市電A系統健軍町行きで17分、熊本城・市役所前下車、徒歩10分
- 料金
- 入園料=大人800円、小・中学生300円/(30名以上の団体は大人640円、小・中学生240円、熊本市・福岡市・北九州市・鹿児島市在住の小・中学生及び65歳以上無料、障がい者手帳持参で無料)
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・御船町でさまざまな恐竜の化石が発見されるのはなぜか?
・阿蘇で今も語り継がれる「健磐龍命蹴裂伝説」の謎
・南北に分断された九州がひとつになった理由とは?
・4つの川は熊本にとって恵みの存在なのか?
・ちょっと不思議な天草諸島の地形はどうやってできたのか?
・熊本は「火の国」ではなく、実は「水の国」だった!?
…などなど熊本のダイナミックな自然のポイントを解説。
Part.2 熊本を駆け抜ける鉄道網
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・熊本電鉄の路線で、“懐かしの車両”に出合えるのはいったいなぜなのか?
・2020年7月豪雨で存亡の危機に! 果たして肥薩線は復活できるのか?
・全線不通から全線開通は可能か? くま川鉄道と南阿蘇鉄道の挑戦は続く
・熊本を走る観光列車のいろいろ。その歴史と魅力を知っておこう!
・九州新幹線の開通で人の流れは変わったのか?
…などなど熊本ならではの鉄道事情を網羅。
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・弥生時代の熊本は鉄器製造の一大産地だった!?
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