更新日: 2024年1月15日
熊本県のキリスト教信者数は1万人あたりで全国6位!そのワケは?
ユネスコの世界遺産に登録された﨑津集落は、潜伏キリシタン関連遺産として知られていますが、仏教、神道、キリスト教が共存した独特の信仰形態を育んだ地でもありました。
熊本県とキリスト教の深い関係
2018(平成30)年、天草市河浦町の﨑津集落が、長崎県の遺産と共に「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」としてユネスコの世界遺産に登録されますが、熊本県はキリスト教と意外なほど深い関係があります。
熊本のキリスト教は崎津集落から伝わった
1549(天文18)年、来日したイエスズ会のフランシスコ・ザビエルは、翌年には長崎県平戸で布教を開始、民衆ばかりではなく多くの大名たちもキリスト教に帰依しました。九州では大友義鎮(おおともよししげ)、有馬晴信(ありまはるのぶ)、大村純忠(おおむらすみただ)、小西行長(こにしゆきなが)、黒田孝高(くろだよしたか)などがキリシタン大名として知られています。そんな中、﨑津集落にキリスト教が伝わったのは1569(永禄12)年のこととされます。イエズス会修道士アルメイダによって布教が開始され、ほとんどの村人がキリスト教徒となり、集落内には教会堂や宣教師のレジデンシア(住居)がつくられ、教会を支援する信仰組織として3つの小組からなるコンフラリア(信仰組織)が形成されていました。また、小西行長が支配した1591(天正19)年から1597(慶長2)年の間、宣教師を養成するコレジヨが﨑津の隣村に設置され、そこには天正遣欧少年使節団の4人も入校、彼らが持ち帰ったグーテンベルク印刷機により、日本発のローマ字活版印刷が行われたといいます。
キリスト教徒は禁教令によって潜伏キリシタンを余儀なくされる
しかし、豊臣秀吉が1587(天正15)年にバテレン(宣教師)追放令を発布し、さらに1612(慶長17)年には徳川家康が禁教令を発布します。そして1637(寛永14)年から翌年にかけての島原・天草の乱で、島原半島の原城跡(長崎県南島原市南有馬町)に籠城しました、天草四郎を指導者とする3万7000人(2万7000人とも)のキリスト教徒は全滅。その後、長崎と天草地方では、多くのキリスト教徒たちが、潜伏キリシタンとしてひそかに信仰を守っていくこととなりました。
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