更新日: 2024年9月30日
「田原坂の戦い」とは?西南戦争における最大の激戦!
明治維新で、世界に負けない近代国家を目指していた日本における、最大の内戦・西南戦争では熊本全土が戦場となり、熊本市は焼け野原となりました。
目次
【田原坂の戦い】宮本武蔵が過ごし、赤穂浪士の最後の地「熊本」
剣豪・宮本武蔵が、佐々木小次郎との巌流島の試合をしたとき、熊本藩の家老だった松井興長(おきなが)(のちに八代城主)が立会人を務めました。その縁で、1640(寛永17)年に武蔵が熊本藩の細川家初代藩主である細川忠利に召し抱えられ、1645(正保2)年に亡くなるまで熊本で過ごしたことはよく知られています。その松井興長の子孫は、細川血族として代々細川氏の筆頭家老を務め、明治維新まで熊本藩を支え続けました。
また、1703年1月( 元禄15年12月)には、仇討ちを果たした大石内蔵助以下17名の赤穂浪士が細川藩預りとなり、3月(元禄16年2月)に藩邸で切腹。山鹿市の日輪寺には、赤穂(あこう)浪士の遺髪塔が建てられています。
日輪寺
- 住所
- 熊本県山鹿市杉1607
- 交通
- JR熊本駅から産交バス山鹿温泉行きで1時間20分、山鹿バスセンター下車、タクシーで10分
- 料金
- 入場料=無料/精進料理(予約制)=2000円、3000円、4000円、5000円/
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