更新日: 2024年1月15日
島原大変肥後迷惑で受けた被害はいったいどれほどだったのか?
江戸時代の寛政4年、雲仙普賢岳の噴火に続く眉山の山体崩落は未曾有の巨大な津波を引き起こし、有明海を越えて、肥後国沿岸にも押し寄せます。
島原大変肥後迷惑が火山性地震などにより発生
1792(寛政4)年に肥前国島原で発生した雲仙岳の火山性地震およびその後の眉山(まゆやま)の山体崩壊によって、津波が島原や対岸の肥後国を襲い、「島原大変肥後迷惑(しまばらたいへんひごめいわく)」と呼ばれるようになりました。
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