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加藤清正と肥後国を分割統治した小西行長との明と暗

この加藤清正と同時に、肥後国の南半分を与えられて宇土城に入ったのが小西行長(こにしゆきなが)でした。彼は和泉国(いずみのくに)堺(大阪府堺市)の商人・小西隆佐(りゅうさ)の次男として京都で生まれ、備前国(岡山県南東部周辺)の宇喜多直家(うきたなおいえ)に仕えますが、豊臣秀吉に気に入られ、臣下となった人物です。
そのふたりは、明国の征服を目指す秀吉の命令に従って、文禄の役(1592~1593年)・慶長の役(1597~1598年)で、朝鮮半島に出兵しますが、秀吉の死で成果のないまま終結しました。そして1600(慶長5)年には、天下分け目の関ケ原の戦いが起きました。

加藤清正は関ヶ原の戦いに参戦せず肥後国全土を領土とする

このとき、小西行長は石田三成らとともに西軍に参加しますが、敗北して京都六条河原において斬首されてしまいました。一方、加藤清正は関ケ原の戦いには参加せず、西軍側の小西行長の宇土城や立花宗茂(たちばなむねしげ)の柳川城(やながわじょう)などを開城、調略し、九州の西軍勢力を次々と破り、戦後の論功行賞で、小西旧領の肥後国南半分を与えられ、54万石の大名となりました

加藤清正は熊本を土木治水で繁栄させた功績から尊崇される

虎退治のエピソードを含め、勇猛な武将として知られる加藤清正ですが、実は土木治水の名手でもありました。
加藤清正が進めた水利開墾によって、約1万5000町歩の新田が誕生し、米の生産高は約21万石にもなりました。その他、白川、坪井川などの堤防や灌漑用水の開設、小田牟田新田をはじめとする干拓などで領民の生活はおおいに向上したとされています。

だからこそ、熊本には清正を「神」として尊崇する「清正公信仰」が根づいているのです。

加藤清正を祀る加藤神社と本妙寺

現在、熊本城の北東にある加藤家の菩提寺本妙寺(ほんみょうじ)は日蓮宗六条門流の寺で、加藤清正が父・清忠の菩提を弔うために建立したといわれていますが、加藤清正自身も、この寺で現世・後生を祈願したといいます。

1611(慶長16)年に加藤清正が亡くなると、中尾山に廟浄池廟が建てられました。そのとき本妙寺も茶臼山からその傍に移りますが、明治になり、神仏分離令が出されるにともない、社殿だけが熊本城内に移され、加藤神社となり、廟と神社は分離されました。その後は西南の役で焼失した大本堂と同時に浄池廟の建物も造られ、本妙寺と浄池廟は現在の姿になりました。

加藤清正公をしのぶ人は絶えることはない

毎年7月23日には、僧侶や信者が写経した法華経を奉納する「頓写会(とんしゃえ)」が行われ、10万人の参拝客で賑わいます。加藤清正の一周忌に本妙寺第三世日遥(にちよう)(李氏朝鮮の名家の出身)が法華経一部八巻を一夜で写経し、追善供養したことが起源だとされます。加藤清正公をしのんでここを訪れる人の足は今も絶えません。

本妙寺

住所
熊本県熊本市西区花園4丁目13-1
交通
JR熊本駅から熊本都市バス第一環状線上熊本駅方面行きで15分、本妙寺前下車、徒歩8分
料金
情報なし

加藤神社

住所
熊本県熊本市中央区本丸2-1
交通
JR熊本駅から市電A系統健軍町行きで15分、熊本城・市役所前下車、徒歩10分
料金
情報なし

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・御船町でさまざまな恐竜の化石が発見されるのはなぜか?
・阿蘇で今も語り継がれる「健磐龍命蹴裂伝説」の謎
・南北に分断された九州がひとつになった理由とは?
・4つの川は熊本にとって恵みの存在なのか?
・ちょっと不思議な天草諸島の地形はどうやってできたのか?
・熊本は「火の国」ではなく、実は「水の国」だった!?

…などなど熊本のダイナミックな自然のポイントを解説。

Part.2 熊本を駆け抜ける鉄道網

・熊本の物流を支える鉄道はどうやってつくられたのか?
・熊本電鉄の路線で、“懐かしの車両”に出合えるのはいったいなぜなのか?
・2020年7月豪雨で存亡の危機に! 果たして肥薩線は復活できるのか?
・全線不通から全線開通は可能か? くま川鉄道と南阿蘇鉄道の挑戦は続く
・熊本を走る観光列車のいろいろ。その歴史と魅力を知っておこう!
・九州新幹線の開通で人の流れは変わったのか?

…などなど熊本ならではの鉄道事情を網羅。

Part.3 熊本で動いた歴史の瞬間

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・菊池を450年にわたって支配した大豪族・菊池氏の正体は?
・肥後を支配した守護代「大友氏」の壮絶な家督争いとは?
・加藤清正が「セイショコさん」と呼ばれ、今でも熊本県民に慕われるワケは?
・西南戦争における最大の激戦「田原坂の戦い」とは?
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