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大友氏は九州でも有数の力を持った菊池氏を取り込む
1520(永正17)年、大友義鑑は弟の大伴義武を、家督争いが起きていた菊池家の養子として送り込み、肥後の守護としました。それまでにも強めていた肥後に対する影響力をより確実なものにするためでした。
菊池氏を名乗るようになった義武は2月10日に豊後府内(大分県大分市)を出発、4月13日には肥後隈府(わいふ)(熊本県菊池市)に入り、同月28日に隈本城(くまもとじょう)(現在の熊本城)入りしたと伝えられています。
本拠地を移した真相は不明
菊池氏はそれまで隈府を本拠地としていたにもかかわらず、なぜ菊池義武は隈本城に入ったのでしょうか? それは、菊池氏旧来の家臣団である隈部・赤星・城(じょう)氏等にいつ裏切られるかわからないという思いがあったからだとも、大友義鑑の命令があったからだともされていますが、いずれにせよ、このときから肥後国の中心は隈府から隈本に移ることとなりました。
大友氏は菊池氏が対立する大内氏に唆され敵対してしまう
しかし、その菊池義武が大友義鑑と敵対するようになります。大友氏当主の座を狙っていたからだともいわれていますが、そこにつけこんだのが、ことあるごとに大友氏と対立していた大内義隆でした。
大内義隆は菊池義武に「菊池氏がかつて任じられていた筑後の守護に推挙する」という話をもちかけると、菊池義武はその話にのって、大内義隆や肥後南部を支配していた相良(さがら)氏と手を結んで、1533(天文2)年、筑後に出兵しました。そこで大友義鑑と菊池義武の対立は決定的となります。
大友・大内氏の和睦が成立し菊池義武は追いつめられる
大友義鑑がすぐさま軍を肥後へ向かわせますが、室町幕府の仲裁によって大友義鑑と大内義隆が和平を結んだため、支援を失った菊池義武は追い詰められ、肥前国高来(たかき)(長崎県島原市)に亡命したのち、相良氏のもとに身を寄せました。
大友義鑑は二階崩れの変で死去
それから10年後の1543(天文12)年、前述したように、大友義鑑自らが肥後の守護となり、肥後の直接統治に乗り出しました。しかし、それも長くは続きませんでした。
大友義鑑は粗暴で人望もない嫡男の大友義鎮(よししげ)を嫌っており、大友義鎮の異母弟である塩市丸(しおいちまる)に家督を譲るために大友義鎮を廃嫡しようとしました。ですが、それを察知した義鎮派重臣が反撃を起こし、塩市丸とその母は殺害され、大友義鑑も負傷して死去しました。1550(天文19)年のことでした(二階崩れの変)。
大友氏の九州6カ国支配は大友義鎮によって成し遂げられる
この義鑑の死を受けて、菊池義武は隈本城に戻り、相良氏・名和氏・三池氏・溝口氏らと連合して肥後制圧を目指しました。それに対して大友義鎮は大軍を差し向け、隈本城を攻め落とします。
だまし討ちに合い菊池氏は滅亡へ…
菊池義武はなんとか島原へ落ち延びますが、1554(天文23)年、大友義鎮の偽りの和議に応じて府内(大分県大分市)に向かう途中、木原(大分県竹田市城原)で大友義鎮の軍勢に包囲されて自害。これにより肥後の名門・菊池氏はついに滅亡しました。大友義鎮の九州6カ国支配は、そうした壮絶な家督争いの結果、成し遂げられたのです。
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