目次
菊池氏のルーツは藤原氏にあり
この菊池氏については、1019(寛仁3)年の「刀伊の入寇」(女真族(じょしんぞく)(満洲民族)を中心とした海賊団が壱岐・対馬を襲い、筑前まで侵攻したという事件)に戦功のあった藤原則隆(のりたか)(大宰権帥・藤原隆家の孫)が肥後国に下向して土着したとする説もありますが、もともと藤原隆家の郎等で、在地官人だった大宰少弐・藤原蔵規(まさのり)が先祖だったというのが定説となっています。
いずれにせよ、この菊池氏は肥後最大の豪族として、平安期から鎌倉、南北朝、室町時代と移り変わっていった歴史の変革期には必ず名を連ねる存在となっていったのです。
菊池氏の戦での活躍
まず有名なのが鎌倉時代の蒙古襲来時における10代・菊池武房(きくちたけふさ)の活躍です。このとき、肥後からは武房、竹崎季長(すえなが)(下益城郡小川町)、大矢野三兄弟(天草郡大矢野町)が出陣、彼らの奮戦で蒙古軍は退散しました。
菊池氏の活躍:12代・菊池武時(たけとき)
また、1331(元弘元)年に、後醍醐天皇が時の北条政権の討滅を謀り、隠岐へ島流しとなった際には、後醍醐天皇の呼びかけに応えた12代・菊池武時が九州探題(福岡市姪浜)を攻略しようと、一族郎党と突入して討ち死にしています。
菊池氏の活躍:13代・菊池武重(たけしげ)
1335(建武2)年には、京都をめざす足利尊氏と新田義貞を大将とする朝廷方が箱根でぶつかりました。そのとき足利尊氏討伐軍の先鋒をつとめたのは、13代・菊池武重でした。菊池武重は配下に命じ、竹の先に短刀をつけた武器をつくらせて大成果をあげ、それが「菊池千本槍」として今に伝えられています。
菊池氏は南朝方に頼られ大将として北朝方への攻撃を実行する
その後、後醍醐天皇は吉野(奈良県)へ移り、いわゆる南北朝時代を迎えますが、その直前に天皇は皇子・懐良(かねよし)親王を征西(せいせい)将軍に任命し、九州に派遣。親王は九州の南朝方の主力・菊池氏を頼り、各地を転々とした後に菊池に入ります。
菊池氏の活躍:15代・菊池武光(たけみつ)
その懐良親王を迎えたのが15代の菊池武光であり、親王の指揮下、菊池武光が大将となって、北朝方の拠点太宰府へたびたび迫り、1359(正平14)年には、筑後川の戦いで勝利しました。
親王は征西府を太宰府に移すまでの約11年間、菊池で暮らしました。親王の居城だった「雲上宮(くものへぐう)」、観月を楽しんだ「月見殿跡」は、菊池神社のすぐ近くで、今も往時の名残をとどめています。
菊池氏の450年に渡る肥後国統治の終焉
このように、菊池一族は一貫して南朝方でしたが、1392(明徳3)年の「明徳の和約」で南北朝合一が成された後も肥後の守護大名的存在として幕府から遇され、19代・菊池持朝(もちとも)のときには、筑後守護も与えられ、繁栄しました。
しかし22代・菊池能運(よしゆき)には子がなく、菊池嫡流が途絶え、1542(天文12)年、26代・菊池義武(よしたけ)は大友義鑑(よしあき)に追われ、島原に逃れ、中世450年の歴史を刻んだ菊池一族の繁栄は幕を下ろすこととなりました。
守山城と菊池十八外城跡地図
菊池一族の時代の城は、山岳や丘陵、河川等を塁や堀として利用した山城でした。菊池一族は、天然の要害である隈府に本城(守山城:菊池城、隈府城ともいいます。16代・菊池武政が築城とされる)を置き、周囲の要所に支城を配置していました。現在「菊池十八外城」と呼ばれている城跡はその遺跡です。本来外城は市内だけでも20以上が確認されていますが、語呂の良さからそのうちの18が選ばれています。
菊池神社
- 住所
- 熊本県菊池市隈府1257
- 交通
- JR熊本駅から熊本電鉄菊池温泉行きバスで1時間10分、菊池プラザ下車、徒歩10分
- 料金
- 入館料(歴史館)=大人300円、学生200円、小人100円/(20名以上で団体割引あり)
『熊本のトリセツ』好評発売中!
地形、交通、歴史、産業…あらゆる角度から熊本県を分析!
熊本県の地形や地質、歴史、文化、産業など多彩な特徴と魅力を、地図を読み解きながら紹介するマップエンターテインメント。熊本の知っているようで知られていない意外な素顔に迫ります。思わず地図を片手に、行って確かめてみたくなる情報を満載!
Part.1 地図で読み解く熊本の大地
・激しい地殻運動が生んだ熊本県の変化に富んだ地形
・御船町でさまざまな恐竜の化石が発見されるのはなぜか?
・阿蘇で今も語り継がれる「健磐龍命蹴裂伝説」の謎
・南北に分断された九州がひとつになった理由とは?
・4つの川は熊本にとって恵みの存在なのか?
・ちょっと不思議な天草諸島の地形はどうやってできたのか?
・熊本は「火の国」ではなく、実は「水の国」だった!?
…などなど熊本のダイナミックな自然のポイントを解説。
Part.2 熊本を駆け抜ける鉄道網
・熊本の物流を支える鉄道はどうやってつくられたのか?
・熊本電鉄の路線で、“懐かしの車両”に出合えるのはいったいなぜなのか?
・2020年7月豪雨で存亡の危機に! 果たして肥薩線は復活できるのか?
・全線不通から全線開通は可能か? くま川鉄道と南阿蘇鉄道の挑戦は続く
・熊本を走る観光列車のいろいろ。その歴史と魅力を知っておこう!
・九州新幹線の開通で人の流れは変わったのか?
…などなど熊本ならではの鉄道事情を網羅。
Part.3 熊本で動いた歴史の瞬間
・旧石器時代の沈目遺跡の打製石器は誰がつくったのか?
・弥生時代の熊本は鉄器製造の一大産地だった!?
・菊池を450年にわたって支配した大豪族・菊池氏の正体は?
・肥後を支配した守護代「大友氏」の壮絶な家督争いとは?
・加藤清正が「セイショコさん」と呼ばれ、今でも熊本県民に慕われるワケは?
・西南戦争における最大の激戦「田原坂の戦い」とは?
・軍都へと変貌していった熊本県と熊本城の運命は?
…などなど、激動の熊本の歴史に興味を惹きつける。
『熊本のトリセツ』を購入するならこちら
※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。
まっぷるトラベルガイド編集部は、旅やおでかけが大好きな人間が集まっています。
皆様に旅やおでかけの楽しさ、その土地ならではの魅力をお伝えすることを目標に、スタッフ自らの体験や、旅のプロ・専門家への取材をもとにしたおすすめスポットや旅行プラン、旅行の予備知識など信頼できる情報を発信してまいります!