更新日: 2024年1月15日
菊池氏は450年にわたって菊池を支配した大豪族!その功績は?
菊池市内に残る守山城跡と18の外城跡は、「勢いいかめしき兵」と謳われた菊池一族の強さの象徴でもありました! その菊池一族がたどった歴史とは?
目次
菊池氏は肥後国の菊池郡に本拠を持っていた
「肥後国(ひごのくに)」の名が史書に初めて登場するのは、『日本書紀』(持統十〔696〕年四月戊戌紀)で、兵士・壬生諸石(みぶのもろし)について書かれた箇所です。彼は肥後国から出兵し、白村江(はくすきのえ)の戦いで捕虜となり33年ぶりに帰国。朝廷は、帰国した彼と家族の労苦に対して水田や物品を与え、税も免除して報いたといいます。
菊池氏は『続日本紀』に記述があらわれる
それ以降も、肥後国は長い間、律令制度の元に支配されていました。ですが、平安時代後期に武士が勃興し、次第に勢力を伸ばしていきます。
そのひとつが肥後国菊池郡(熊本県菊池市)を本拠としていた豪族・菊池氏で、平安初期の史書『続日本紀』(文武天皇二〔698〕年五月甲申の條)に「大野・基肄(きい)・鞠智(きくち)の三城を繕い治めせしむ」と記述されています。
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