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鞠智城が築かれた理由となった連合軍との戦いの歴史
そもそも、618年に建国した唐が高句麗(こうくり)に侵攻を開始したのは645年でしたが、当時、高句麗と百済(くだら)から攻められていた新羅(しらぎ)は唐と連合して、660年に百済を滅ぼしてしまいます。その百済の生存者らが国の復興を目指して、もともと交流の深かったヤマト政権に援軍を求めてきました。それに応えるかたちで斉明(さいめい)天皇は船で兵を送り出し、白村江の戦いに臨みます。しかし、ヤマト軍は唐・新羅の連合軍に大敗してしまいました。
その後、668年には高句麗も新羅に滅ぼされ、朝鮮半島は新羅によって統一されました。
鞠智城のような城を築かなければならなかった理由
一方ヤマト政権では、661(斉明天皇7)年に斉明天皇が急死したため息子の中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)(のちの天智天皇)が跡を継ぎ、唐や新羅の侵攻に備えて、太宰府を前線基地として、水城や山城を建設。その後も都へのルートに山城を整備して、対馬と筑紫には防人(さきもり)を置きました。
鞠智城もそんな山城のひとつで、大野城(福岡県宇美町(うみまち)・太宰府市(だざいふし)・大野城市(おおのじょうし))や基肄(きい)城(佐賀県基山町)に武器・食糧を補給するための支援基地だったとされています。
鞠智城の遺構から復元され当時の姿を垣間見られる
遺跡は周囲の長さ3.5㎞、面積55haという規模で、1967(昭和42)年度から始まった熊本県の発掘調査により、八角形建物跡をはじめとする72棟の建物跡や、貯水池跡、土塁跡など遺構が相次いで発見されました。
また、1994(平成6)年度からは、八角形鼓楼(ころう)、米倉、兵舎・板倉が復元されて歴史公園として整備されているほか、出土品や模型などで城の立地や規模、構造などを体験的に学習できる「歴史公園 鞠智城・温故創生館」(熊本県立装飾古墳館分館)も建てられています。
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