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鞠智城は何のために築かれたのか?~丘陵に建つ山城 写真:123RF

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月15日

鞠智城は何のために築かれたのか?~丘陵に建つ山城

白村江の戦い後、熊本には唐・新羅の侵攻に備えて、ヤマト政権の最南端の基地が築かれていました。当時のヤマト政権軍の機動力はどのようなものだったのでしょうか?

鞠智城はヤマト政権側の敗北によって作られた

熊本県の山鹿市と菊池市にまたがる丘陵に築かれた鞠智城(きくちじょう)は、663(天智天皇2)年の「白村江(はくすきのえ)の戦い」で、唐と新羅の連合軍に大敗を喫したヤマト政権が築いた古代山城とされています。

鞠智城跡と大野城跡とは、直線距離で約65㎞も離れています。その事実は、古墳時代の軍隊はかなりの機動力を有していたことを証明しています。

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