更新日: 2024年1月15日
曽畑式土器や轟貝塚産の土器が沖縄や大陸から発見されたのはなぜか?
鬼界カルデラの大噴火で絶滅の危機に瀕した縄文人。しかし、その大惨事を乗り越え、復活して朝鮮半島から沖縄まで活動範囲を広げていきました!
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轟貝塚などを築いた縄文人を襲った危機
日本で旧石器時代が終わりを告げ、縄文時代が始まったのは1万6000年前とされています。ですが、今から約7300年前にたいへんなできごとが起きました。鬼界(きかい)カルデラの大噴火です。
鬼界カルデラは、鹿児島県の薩摩半島から約50㎞南の大隅(おおすみ)海峡に位置しており、今でも薩摩硫黄島が盛んに火山活動を繰り返していますが、約7300年前の大噴火は規模が違いました。噴火に伴う火砕流は海を渡って大隅半島や薩摩半島にまで達し、巨大津波が長崎県や三重県にも押し寄せました。また、噴き上げられた火山灰が東北地方まで降り注ぎました。
そのため、当時の縄文人たちは甚大な影響を受け、生活圏は壊滅状態になり、人が住めなくなったところもありました。しかし、人々は、そんなカタストロフィ(突然の破滅的現象)も乗り越えていったのです。
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