人吉盆地の灌漑用水路①:百太郎溝
百太郎溝は、現在の百太郎公園付近を取水口とし、幹線水路の延長は約19㎞で、多良木町、あさぎり町、錦町の1500haを潤しています。開削開始時期は定かではありませんが、鎌倉時代には始まり、5回にわたって工事が行われ、1710(宝永7)年に完成したとされています。
この百太郎溝については、次のような伝説が残っています。昔、球磨川がたびたび氾濫を起こし、村人たちが困っていました。あるとき、「裾に二本の線がはいった着物を着た人物を人柱に立てよ」という神のお告げがありました。そのとき、百太郎が人柱となりますが、それ以来、水害はピタリとやんだ……といいます。ちなみに、人吉藩は寛永年間(1624〜1645年)に、2万1000石の新田開発をしたと記録されていますが、これも百太郎溝があったからこそ可能でした。
現在、旧樋門は球磨郡多良木町の百太郎公園に移築されています。凝灰岩でつくられ、高さ5.8m、長さ9.5mにおよびます。近くには現在の百太郎堰があり、水路には勢いよく水が流れています。
人吉盆地の灌漑用水路②:幸野溝
一方、幸野溝は、現在の幸野ダムあたりから取水し、湯前町(ゆのまえまち)、多良木町(たらぎまち)、あさぎり町を走る幹線水路の延長15.4㎞、支線用水路は約230㎞にもおよび、流域1375haを潤しています。開削開始時期は1696(元禄9)年頃からで1705(宝永2)年に完成しました。
人吉盆地に開拓民が移住してきた
その後、明治の初め頃に、天草から人吉盆地に、数百人の開拓民が移住してきました。それだけの人を受け入れる土地が広がっていたのです。そして現在、人吉盆地では、米を基幹として、葉たばこ、ハウスメロン、野菜、畜産、花か卉き等を合わせた生産性の高い複合経営が営まれています。
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