目次
【太宰治の生涯】中学時代に文学に目覚める
1916(大正5)年、修治(太宰治)は金木尋常小学校に入学。優秀な成績を収めて主席で卒業しますが、津島家はこれを不審に思い、1922(大正11)年、学力補充のために修治(太宰治)を組合立明治高等小学校に1年間通わせました。この頃、父・源右衛門が流行性感冒で亡くなります。
1923(大正12)年、修治(太宰治)は青森県立青森中学校の試験に合格し、入学します。遠縁の豊田太左衛門方に下宿して通学を始めました。この年の夏に、修治(太宰治)は井伏鱒二の『幽閉』(『山椒魚』の原型)を読んで感動します。同じ年に創刊された『文藝春秋』を購読し、中学では校友会誌で小説を発表したり、級友と同人誌を制作したりと、文学に傾倒していきます。
【太宰治の生涯】高校生活は屈折したものだった
1927(昭和2)年、官立弘前高等学校に入学した年に、修治(太宰治)の憧れの作家であった芥川龍之介が自殺。このことは修治(太宰治)に大きな衝撃を与え、生涯にわたり影響を受けます。
修治(太宰治)の通った弘前高校は、左翼的活動が盛んな高校でした。修治(太宰治)もそれに影響を受けたのか、2年生のときに『細胞文芸』という同人雑誌を創刊しています。「細胞」とは、プロレタリア革命を担う末端組織を表す言葉です。しかし、大地主の息子である修治(太宰治)にとって、左翼活動は大きな自己矛盾をはらむものでした。
初めての自殺未遂
悪徳地主の兄と、左翼思想に傾き小作争議に加担する弟が登場する小説『地主一代』を書き終えた夜に、修治(太宰治)はカルモチンを大量に飲んで初めての自殺未遂を図ります。「私は賤民ではなかった。ギロチンにかかる役のほうであった。(中略)クラスでは私ひとり、目立って華美な服装をしていた。いよいよこれは死ぬより他は無いと思った」と、後年の著作『苦悩の年鑑』で振り返っています。
【太宰治の生涯】偉大な文豪が抱えていた苦悩
それから、東京帝国大学仏文科に進学し、太宰治として小説家デビューしてからも、彼が何度も自殺未遂を繰り返し、最後には入水自殺を果たしているのは周知のとおりです。
太宰の自殺願望の理由は推測することしかできませんが、太宰が幼い頃から孤独と不安を抱えながら生きてきたことはうかがえます。太宰の故郷・金木を歩けば、その内面が見えてくるかもしれません。
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Part.1 地図で読み解く青森の大地
・津軽・下北半島が陸奥湾を抱き 県央を貫く奥羽山脈が地形を二分
・火山がもたらした絶景や石灰岩 下北半島に刻まれた列島誕生史
・二重カルデラの十和田湖が生んだ奥入瀬渓流の渓谷美
・津軽富士と称される美しい岩木山は荒々しい火山地形を残す活火山
・古いカルデラの上に形成された八甲田山は火山地形の宝庫!
・東に段丘・西に砂丘・南に扇状地 岩木川がつくった津軽平野
・かつて潟湖だった小川原湖と広大な上北平野ができるまで
・地すべりでブナの原生林が誕生 太古の森が残る白神山地の成り立ち
・・・など
Part.2 青森を駆け抜ける鉄道網
・日本鉄道の駅として明治期に開業 北への玄関となった栄光の青森駅
・E5系・H5系「はやぶさ」が走り延伸を続ける東北・北海道新幹線
・車内で津軽三味線の生演奏!?「リゾートしらかみ」がゆく五能線
・函館への海底トンネルを掘削!?大湊線・大畑線・大間線の大計画
・日本初のステンレス車も活躍する東北最大の私鉄 弘南鉄道がすごい
・黄金の東北本線は新幹線で激変 新時代を走り出した青い森鉄道
・冬は石炭炊きのストーブ列車!ローカル私鉄・津軽鉄道の魅力
・レトロなレールバスがみちのくの原風景を走った幻の南部縦貫鉄道
・・・など
Part.3 青森で動いた歴史の瞬間
・マンモスを追ってきた人類が定着 中央に属さない独自の文化が発展
・豊かな自然のもとで生まれ1万年にわたり続いた縄文文化
・稲作を基盤とする弥生文化と北海道で発達した擦文文化が交錯
・和人の律令国家に取り込まれず蝦夷の地として交易で発展する
・奥州藤原氏が源頼朝に滅ぼされ武士たちの激しい抗争の時代へ
・十三湊を制して栄えた安東氏と室町期に台頭した南部氏の争い
・北東北最大勢力の南部氏から独立し弘前藩を築いた津軽氏とは?
・藩境争いに暗殺未遂、戊辰戦争…度重なる津軽と南部の紛争
・戊辰戦争後に紆余曲折を経て青森県が成立し近代化していく
・港町から県都となった青森では町人中心の町づくりが進んでいく
・・・など
Part.4 青森で育まれた産業や文化
・霊媒師イタコが霊場・恐山の象徴的存在となった理由
・諸大名が財を投じて求めた南部駒 青森県の馬産の歴史は古代から!?
・築100年のダムが現役!耐久性の高い青森ヒバ
・岩木山麓の原野を切り拓いて旧藩士たちが始めたリンゴ栽培
・大間のマグロに陸奥湾のホタテ! 青森県で水産物が豊かな理由とは?
・船上に車両を載せて海を渡る! 青森〜函館をつないだ青函連絡船
・セメント工場の設立をきっかけに漁村から工業地帯に変貌した八戸
・米軍・自衛隊・民間が利用する三沢飛行場は旧海軍航空基地だった
・・・など
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