更新日: 2024年1月15日
原子力船むつを筆頭に原子力と国策に翻弄される下北半島
むつ市の大湊港は原子力船の母港となるも、放射線漏れを起こした船の帰港を漁民らは拒否。船は非核化、港は施設を撤去され、国頼みの事業は挫折します。
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原子力船むつは下北半島開発計画の一環として建造される
下北半島は国策による開発計画が持ち上がっては頓挫してきました。1960年代、砂鉄事業を担う「むつ製鉄」(むつ市)の工場建設という国策性事業が頓挫した後、むつ市の大湊港が突然、原子力船の定係港(母港)候補に浮上。青森県もむつ市も地域振興の起爆剤となることを期待し、受け入れを決めました。船は公募で「むつ」と命名されました。
日本初の原子力船「むつ」
日本初の原子力船「むつ」は船体と原子炉を別会社が建造。船体の進水式は1969(昭和44)年、当時の皇太子夫妻や佐藤栄作首相らが出席し、東京・豊洲で行われます。翌年7月に大湊港に接岸され、原子炉の艤装工事が進むなか、港には約30億円をかけて核燃料交換施設などの施設が整備されました。
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