更新日: 2024年1月15日
南部馬は諸大名が財を投じて求めた名馬!古代から続いた青森県の馬産の歴史とは
現在、北海道に次ぐ馬産地である青森県。その馬産の歴史は古く、南部地方はかつて「南部馬」といわれる名馬の産地として広く知られていました。
南部馬は奈良時代から朝廷に認知されていた名馬
わが国には1万年以上前の氷河期から馬が生息していたとされていますが、馬が家畜化され、さまざまなシーンで活用されるようになったのは古墳時代からといわれています。その後、7世紀になって馬が軍事用として普及すると、朝廷は各地に馬の生産を行う「牧(まき)」を整備しました。奥羽の南部(糠部(ぬかのぶ))地域が馬産地として朝廷に認知されたのは奈良時代の初めごろで、平安時代に入り、武士勢力の台頭とともに、名馬の産地としてその名が広まりました。
南部馬は「駿馬」といわれるブランド品
日本古来の馬は体格が小さかったのですが、北方伝来ともいわれる奥羽の馬には駿馬(しゅんめ)が多く、当時の武士にとって「糠部駿馬」は最高のブランド品だったといいます。それだけ貴重な馬だったので権力者も注目し、源頼朝は臣下にして馬産に精通していた南部光行(みつゆき)をわざわざ甲斐(現在の山梨県)から糠部に入部させたほどでした。そして、この南部光行を始祖とする南部氏が、明治維新まで長く当地を治めることになりますが、馬産は地域の基幹産業のひとつとして、政治的にも経済的にも重要な役割を果たしていました。
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