更新日: 2024年1月15日
【青森県の歴史】戊辰戦争後に紆余曲折を経て青森県が成立。凶作を乗り越え近代化していく
明治の近代化以降、青森県の農業は大きく成長しました。大正末期から昭和にかけての凶作を乗り越え、現在も青森県は日本の食糧事情を担い続けます。
目次
【青森県の歴史】幕末から青森県誕生までの遍歴
幕末を迎えた頃の青森県域には弘前藩、黒石藩、八戸藩、盛岡藩領の一部(下北郡・三戸郡・二戸郡)、七戸藩(盛岡藩の支藩)が存在しました。このうち盛岡藩は、奥羽越列藩同盟に参加して戊辰戦争を旧幕府方として戦ったため、戦後に藩領は新政府に没収されます。旧盛岡藩領の3郡は会津藩の転封先となり、旧会津藩主の松平氏を再興させる斗南(となみ)藩が立藩しました。
弘前、黒石、八戸、七戸、斗南の5藩は、1871(明治4)年の廃藩置県でそのまま県となり、同年の府県統合で合併し、さらに館県(たてけん)(旧松前藩)を併合して「弘前県」が誕生します。新生・弘前県の県庁所在地は、弘前藩の藩政時代から政治の中心地であった弘前町が選ばれました。しかし、戊辰戦争末期の箱館戦争の頃に、北海道への渡航地として青森町に新政府軍の拠点が置かれ、その利便性のよさを買われて青森町に県庁が移設されました。それと同時に県の名称も「青森県」に改められます。なお、かつての城下町の弘前には東北鎮台弘前分営が設置され、軍都として歩み始めていきます。
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