更新日: 2024年1月15日
蝦夷地警備は南下を狙うロシアを牽制するため東北諸藩が命じられた
日露関係が複雑に変化するなか、盛岡藩や弘前藩をはじめとする東北諸藩は幕府の意向に振り回されながら北方警備に出兵することになります。
目次
蝦夷地警備の第一陣を命じられた津軽藩と弘前藩
18世紀の帝政ロシアは、ヨーロッパでの毛皮需要の高まりに対応すべく、シベリアやカムチャツカで毛皮を確保する必要性に駆られていました。このため極東の島々にはロシア船が来航し、航海に必要な薪水などの物資を日本の港に要求するようになってきますが、日本は鎖国体制を敷いており、通商相手は清国とオランダに限定していました。皇帝エカチェリーナ2世は、大黒屋光太夫ら漂流民を日本に返還することを口実に、遣日使節としてアダム・ラクスマンを派遣し、日本に通商を求めました。
根室に上陸したラクスマンに応対するために、幕府は松前(北海道松前郡)に役人を遣わしますが、このとき盛岡藩と弘前藩にはこの役人の警固が命じられ、盛岡藩は379人、弘前藩は281人を向かわせました。
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