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【青森の街道】奥州街道は南部氏が、弘前藩は羽州街道を利用して参勤交代

全国の街道は大名の参勤交代のための公道として整備され、南部氏領の盛岡藩や八戸藩は奥州街道を用いました。しかし、南部氏と確執のある弘前藩の津軽氏は、南部領を通過しないようにするために、羽州街道を用いるのでした。

三方を海に囲まれた青森県域では、海運が重要な役割を果たしました。とくに陸奥湾に面した青森や野辺地では、蝦夷地交易が盛んに行われました。
『青森県の歴史 第2版』(山川出版社、2013年)を元に作成。

松前街道は津軽海峡から北海道(蝦夷)へわたる海路

油川宿から先は陸奥湾に沿って津軽半島の東を回り、竜飛崎(たっぴざき)に近い三厩(みんまや)宿(東津軽郡)から約40kmほどの海路で津軽海峡を渡り、蝦夷地(北海道)へと至ります。このルートを松前街道といいます。蝦夷地と往復する交通路であり、参勤交代には松前藩しか使用しなかったものの、交易路として用いられ、江戸時代後期になると蝦夷開発の通用路として使用頻度は高まっていきました。

【青森の航路】西廻り航路は鰺ヶ沢が津軽藩の御用港、東廻り航路は野辺地湊が盛岡藩の重要港

海路では日本海海運、太平洋海運、蝦夷地との海運で青森県域はにぎわいました。日本海海運は西廻り航路とも呼ばれ、日本海を南下して下関(山口県下関市)から瀬戸内海に入り、大坂へと年貢米を回漕したり、売却したりするのに用いられました。このルートは北前船の交易路が確立すると、鰺ヶ沢(あじがさわ)(西津軽郡)はその寄港地として栄えていきます。津軽藩の御用港として御城米(ごじょうまい)(年貢米)を積み出し、また北前船からは北陸や瀬戸内、上方の特産品や文化がもたらされるのでした。

太平洋海運は東廻り航路と呼ばれ、江戸と東北地方の太平洋岸の港とのあいだでの御城米や物資の移出入が行われ、八戸湊からは大豆や鰊〆粕(にしんしめかす)、干鰯(ほしか)などを送り出しました。野辺地湊は1695(元禄8)年に尾去沢銅山(秋田県鹿角市)から産出するようになった銅を搬出するために用いられ、盛岡藩の藩財政を支える重要な港となります。また、下北半島のヒノキ材は建築素材として重宝され、江戸に搬出されていきました。

【青森の航路】蝦夷地との交易で青森港や野辺地湊がにぎわった

蝦夷地との交易は津軽海峡に面した各港で精力的に行われ、なかでも青森湊や野辺地湊が有力でした。1669(寛文9)年にアイヌの首長・シャクシャインが松前藩に対して反乱を起こす(寛文蝦夷蜂起事件)と、蝦夷地へと渡海する港の重要性はさらに高まっていくのでした。

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Part.1 地図で読み解く青森の大地

・津軽・下北半島が陸奥湾を抱き 県央を貫く奥羽山脈が地形を二分
・火山がもたらした絶景や石灰岩 下北半島に刻まれた列島誕生史
・二重カルデラの十和田湖が生んだ奥入瀬渓流の渓谷美
・津軽富士と称される美しい岩木山は荒々しい火山地形を残す活火山
・古いカルデラの上に形成された八甲田山は火山地形の宝庫!
・東に段丘・西に砂丘・南に扇状地 岩木川がつくった津軽平野
・かつて潟湖だった小川原湖と広大な上北平野ができるまで
・地すべりでブナの原生林が誕生 太古の森が残る白神山地の成り立ち

・・・など

Part.2 青森を駆け抜ける鉄道網

・日本鉄道の駅として明治期に開業 北への玄関となった栄光の青森駅
・E5系・H5系「はやぶさ」が走り延伸を続ける東北・北海道新幹線
・車内で津軽三味線の生演奏!?「リゾートしらかみ」がゆく五能線
・函館への海底トンネルを掘削!?大湊線・大畑線・大間線の大計画
・日本初のステンレス車も活躍する東北最大の私鉄 弘南鉄道がすごい
・黄金の東北本線は新幹線で激変 新時代を走り出した青い森鉄道
・冬は石炭炊きのストーブ列車!ローカル私鉄・津軽鉄道の魅力
・レトロなレールバスがみちのくの原風景を走った幻の南部縦貫鉄道

・・・など

Part.3 青森で動いた歴史の瞬間

・マンモスを追ってきた人類が定着 中央に属さない独自の文化が発展
・豊かな自然のもとで生まれ1万年にわたり続いた縄文文化
・稲作を基盤とする弥生文化と北海道で発達した擦文文化が交錯
・和人の律令国家に取り込まれず蝦夷の地として交易で発展する
・奥州藤原氏が源頼朝に滅ぼされ武士たちの激しい抗争の時代へ
・十三湊を制して栄えた安東氏と室町期に台頭した南部氏の争い
・北東北最大勢力の南部氏から独立し弘前藩を築いた津軽氏とは?
・藩境争いに暗殺未遂、戊辰戦争…度重なる津軽と南部の紛争
・戊辰戦争後に紆余曲折を経て青森県が成立し近代化していく
・港町から県都となった青森では町人中心の町づくりが進んでいく

・・・など

Part.4 青森で育まれた産業や文化

・霊媒師イタコが霊場・恐山の象徴的存在となった理由
・諸大名が財を投じて求めた南部駒 青森県の馬産の歴史は古代から!?
・築100年のダムが現役!耐久性の高い青森ヒバ
・岩木山麓の原野を切り拓いて旧藩士たちが始めたリンゴ栽培
・大間のマグロに陸奥湾のホタテ! 青森県で水産物が豊かな理由とは?
・船上に車両を載せて海を渡る! 青森〜函館をつないだ青函連絡船
・セメント工場の設立をきっかけに漁村から工業地帯に変貌した八戸
・米軍・自衛隊・民間が利用する三沢飛行場は旧海軍航空基地だった

・・・など

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