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大浦為信(=津軽為信)が勢力を拡大し津軽地方を支配
南部晴政は叔父の石川高信(たかのぶ)を津軽郡代として石川城(弘前市)に置いていましたが、津軽地方では反乱が頻発していました。南部氏庶流の大浦城(弘前市)主・大浦為信(=のちの津軽為信)は、元亀年間(1570〜1573年)に石川高信に反旗を翻して石川城を急襲します。石川高信は自害したとも、生き延びてのちに病死したとも伝えられていますが、いずれにせよ大浦為信(=津軽為信)が津軽地方を支配することになりました。
1582(天正10)年に南部晴政が没すると、南部氏では後継者争いが勃発。その間にも大浦為信(=津軽為信)は南部系の豪族を次々と攻め滅ぼしていき、1585(天正13)年には油川城(あぶらかわじょう)(青森市)を制圧して外ヶ浜(そとがはま)一帯を支配下に置きました。さらに田舎館城(いなかだてじょう)(南津軽郡)まで攻略し、勢力範囲を拡大します。
大浦為信(=津軽為信)、南部氏ともに豊臣秀吉に恭順
1590(天正18)年には、豊臣秀吉が天下統一事業の総仕上げとして相模国(神奈川県)の後北条氏を攻めます。この小田原征伐では南部氏、大浦氏ともに秀吉軍に参陣し、豊臣政権に恭順の意を示しました。このとき南部氏は、大浦為信(=津軽為信)は惣無事令(そうぶじれい)(秀吉による大名間での私闘禁止令)に違反していると訴えていましたが、大浦為信(=津軽為信)は南部氏より先に参陣し、津軽特産の鷹を贈って釈明し、難を逃れたといいます。
小田原征伐のあと、秀吉は宇都宮城(栃木県宇都宮市)で奥州大名の処遇を決めます(奥州仕置)。東北の諸大名が改易や減封されるなか、南部氏と大浦氏は本領が安堵されました。なお、この頃に大浦氏は「津軽」へと改姓(津軽為信)しています。
津軽為信と南部氏は豊臣配下として動きをともにするも遺恨が残る
東北には奥州仕置に反発する者が多く、1591(天正19)年には南部氏と対立していた九戸氏が蜂起した(九戸政実(まさざね)の乱)。南部氏と津軽氏は、豊臣秀次(ひでつぐ)を総大将とする鎮圧軍に参陣しました。南部氏当主の南部信直(のぶなお)は、津軽為信に石川城を追われた石川高信の実子(養子として南部氏に入る)であり、このとき豊臣軍の浅野長政(あさのながまさ)に父の仇討ちを申し入れて却下されています。南部と津軽の遺恨は消えることがないまま、戦国の世を終えていくのでした。
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Part.1 地図で読み解く青森の大地
・津軽・下北半島が陸奥湾を抱き 県央を貫く奥羽山脈が地形を二分
・火山がもたらした絶景や石灰岩 下北半島に刻まれた列島誕生史
・二重カルデラの十和田湖が生んだ奥入瀬渓流の渓谷美
・津軽富士と称される美しい岩木山は荒々しい火山地形を残す活火山
・古いカルデラの上に形成された八甲田山は火山地形の宝庫!
・東に段丘・西に砂丘・南に扇状地 岩木川がつくった津軽平野
・かつて潟湖だった小川原湖と広大な上北平野ができるまで
・地すべりでブナの原生林が誕生 太古の森が残る白神山地の成り立ち
・・・など
Part.2 青森を駆け抜ける鉄道網
・日本鉄道の駅として明治期に開業 北への玄関となった栄光の青森駅
・E5系・H5系「はやぶさ」が走り延伸を続ける東北・北海道新幹線
・車内で津軽三味線の生演奏!?「リゾートしらかみ」がゆく五能線
・函館への海底トンネルを掘削!?大湊線・大畑線・大間線の大計画
・日本初のステンレス車も活躍する東北最大の私鉄 弘南鉄道がすごい
・黄金の東北本線は新幹線で激変 新時代を走り出した青い森鉄道
・冬は石炭炊きのストーブ列車!ローカル私鉄・津軽鉄道の魅力
・レトロなレールバスがみちのくの原風景を走った幻の南部縦貫鉄道
・・・など
Part.3 青森で動いた歴史の瞬間
・マンモスを追ってきた人類が定着 中央に属さない独自の文化が発展
・豊かな自然のもとで生まれ1万年にわたり続いた縄文文化
・稲作を基盤とする弥生文化と北海道で発達した擦文文化が交錯
・和人の律令国家に取り込まれず蝦夷の地として交易で発展する
・奥州藤原氏が源頼朝に滅ぼされ武士たちの激しい抗争の時代へ
・十三湊を制して栄えた安東氏と室町期に台頭した南部氏の争い
・北東北最大勢力の南部氏から独立し弘前藩を築いた津軽氏とは?
・藩境争いに暗殺未遂、戊辰戦争…度重なる津軽と南部の紛争
・戊辰戦争後に紆余曲折を経て青森県が成立し近代化していく
・港町から県都となった青森では町人中心の町づくりが進んでいく
・・・など
Part.4 青森で育まれた産業や文化
・霊媒師イタコが霊場・恐山の象徴的存在となった理由
・諸大名が財を投じて求めた南部駒 青森県の馬産の歴史は古代から!?
・築100年のダムが現役!耐久性の高い青森ヒバ
・岩木山麓の原野を切り拓いて旧藩士たちが始めたリンゴ栽培
・大間のマグロに陸奥湾のホタテ! 青森県で水産物が豊かな理由とは?
・船上に車両を載せて海を渡る! 青森〜函館をつないだ青函連絡船
・セメント工場の設立をきっかけに漁村から工業地帯に変貌した八戸
・米軍・自衛隊・民間が利用する三沢飛行場は旧海軍航空基地だった
・・・など
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