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津軽氏は津軽為信の時代に北東北最大勢力の南部氏から独立し弘前藩を築いた 写真:123RF

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月15日

津軽氏は津軽為信の時代に北東北最大勢力の南部氏から独立し弘前藩を築いた

青森県域の戦国時代には、南部氏が一大版図を築きます。その南部氏に反旗を翻して、津軽地方で独立を果たしたのが津軽為信でした。

南部晴政の時代に隆盛を極めた南部氏

執権北条氏の御内人(みうちびと)として北奥に入部した南部氏は、聖寿寺館(しょうじゅじだて)(三戸郡)を中心に糠部(ぬかのぶ)郡を治め、室町時代後期には津軽地方や岩手県中部、さらに秋田県鹿角(かづの)地方へと勢力を伸ばしていきました

南部氏の惣領家である三戸南部氏は、南部晴政(はるまさ)の代に大きく成長します。南部晴政は室町幕府や朝廷との関係を強化し、1539(天文8)年には12代将軍・足利義晴(よしはる)より偏諱(一字拝領)を受けて「安政」から「晴政」と改名しました。同年に聖寿寺館は家臣に放火されて焼失し、拠点を三戸城(三戸郡)に移すことになりますが、聖寿寺館跡からは金箔土器や高級陶磁器が出土しています。東北で金箔土器が見つかったのは聖寿寺館跡だけなので、この点からも中央との関係性の深さがうかがえます。

南部晴政は合戦で強さを発揮しました。謀叛した工藤氏を討ち、1569(永禄12)年には鹿角郡で安藤氏を撃退します。南部氏の支配領域は下北半島から岩手県北上川中央部まで達し、「三日月の丸くなるまで南部領」と謳われたほどでした。

1590(天正18)年、大浦為信は豊臣秀吉に津軽郡支配を認められて津軽氏を名乗った。
鰺ヶ沢町HPを元に作成。

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