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安藤氏の内紛は蝦夷沙汰代官職を巡っての「津軽大乱」

鎌倉時代末期には、蝦夷沙汰代官職を巡って安藤氏に内紛が起こります。この争いは「津軽大乱」と呼ばれ、鎌倉幕府滅亡の要因ともいわれています。幕府滅亡後、南北朝の動乱を経て安藤氏は室町幕府に帰順しました。1423(応永30)年には5代将軍・足利義量(あしかがよしかず)に馬20頭、鳥5000羽、銭2万貫、ラッコの皮30枚、昆布500把を献上するほど安藤氏は経済的に豊かでした。この頃には京都御扶持衆として、守護大名並の地位を認められていました。

十三湊は安藤氏が交易拠点とした日本有数の港

津軽大乱で惣領家が交代するとともに安藤氏の拠点となったのが十三湊(とさみなと)(五所川原市)です。十三湖(じゅうさんこ)の西岸に位置する十三湊には、13世紀前半から港町が形成されました。14世紀末から15世紀初頭にかけて、安藤氏によって大規模な土塁や街路がつくられ、本格的な都市として整備されます。戦国時代までに成立した日本最古の海法『廻船式目(かいせんしきもく)』によると、十三湊は土崎湊(つちざきみなと)(秋田県秋田市)や今町湊(いままちみなと)(新潟県上越市)などとともに「三津七湊(さんしんしちそう)」に数えられており、古くから日本有数の港湾として知られていた様子がうかがえます。

関東御免(かんとうごめん)の津軽船には幕府から関料(せきりょう)免除の特権が与えられ、若狭国(わかさのくに)や越前国(えちぜんのくに)(福井県)にまで出向いて交易をしました。安藤氏の交易圏はかなり広範にわたったと推測されています。

1350~1450年頃の様子。根城を拠点とする南部氏が急速に勢力を拡大し、十三湊を拠点とする安藤氏を圧迫していきました。秋田の土崎湊には、湊安東氏を名乗る一族が現れました。
鰺ヶ沢町HPを元に作成。

十三湊は南部氏の台頭によって陥落し安藤氏は蝦夷ヶ島へ

ですが、こうした安藤氏と十三湊の繁栄は、南部(なんぶ)氏の台頭によって一変します。もともとは甲斐国(かいのくに)南部郷(なんぶごう)(山梨県南巨摩郡)を本領とする甲斐源氏の南部氏は、鎌倉時代後期に北条得宗家の被官として北奥に入部。鎌倉幕府滅亡後の建武政権下では南部師行(なんぶもろゆき)が糠部郡奉行に抜擢され、根城(ねじょう)(八戸市)を拠点に活動し、やがて三戸南部氏、根城南部氏(八戸氏)など各地に一族が扶植(ふしょく)。勢力を拡大していき、安藤氏の十三湊へと侵攻してきました。その結果、1442(嘉吉2)年に十三湊は陥落し、安藤氏は蝦夷ヶ島へと退去を余儀なくされるのでした。以降、北奥における交易拠点の主役は油川湊(青森市)に移り、十三湊は衰退していきました。

1450~1550年頃の様子。南部氏に敗れた安藤氏は蝦夷地に逃れたあと、檜山(秋田県能代市)へ入って湊安東氏を併合し、のちの秋田氏となります。
鰺ヶ沢町HPを元に作成。

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Part.1 地図で読み解く青森の大地

・津軽・下北半島が陸奥湾を抱き 県央を貫く奥羽山脈が地形を二分
・火山がもたらした絶景や石灰岩 下北半島に刻まれた列島誕生史
・二重カルデラの十和田湖が生んだ奥入瀬渓流の渓谷美
・津軽富士と称される美しい岩木山は荒々しい火山地形を残す活火山
・古いカルデラの上に形成された八甲田山は火山地形の宝庫!
・東に段丘・西に砂丘・南に扇状地 岩木川がつくった津軽平野
・かつて潟湖だった小川原湖と広大な上北平野ができるまで
・地すべりでブナの原生林が誕生 太古の森が残る白神山地の成り立ち

・・・など

Part.2 青森を駆け抜ける鉄道網

・日本鉄道の駅として明治期に開業 北への玄関となった栄光の青森駅
・E5系・H5系「はやぶさ」が走り延伸を続ける東北・北海道新幹線
・車内で津軽三味線の生演奏!?「リゾートしらかみ」がゆく五能線
・函館への海底トンネルを掘削!?大湊線・大畑線・大間線の大計画
・日本初のステンレス車も活躍する東北最大の私鉄 弘南鉄道がすごい
・黄金の東北本線は新幹線で激変 新時代を走り出した青い森鉄道
・冬は石炭炊きのストーブ列車!ローカル私鉄・津軽鉄道の魅力
・レトロなレールバスがみちのくの原風景を走った幻の南部縦貫鉄道

・・・など

Part.3 青森で動いた歴史の瞬間

・マンモスを追ってきた人類が定着 中央に属さない独自の文化が発展
・豊かな自然のもとで生まれ1万年にわたり続いた縄文文化
・稲作を基盤とする弥生文化と北海道で発達した擦文文化が交錯
・和人の律令国家に取り込まれず蝦夷の地として交易で発展する
・奥州藤原氏が源頼朝に滅ぼされ武士たちの激しい抗争の時代へ
・十三湊を制して栄えた安東氏と室町期に台頭した南部氏の争い
・北東北最大勢力の南部氏から独立し弘前藩を築いた津軽氏とは?
・藩境争いに暗殺未遂、戊辰戦争…度重なる津軽と南部の紛争
・戊辰戦争後に紆余曲折を経て青森県が成立し近代化していく
・港町から県都となった青森では町人中心の町づくりが進んでいく

・・・など

Part.4 青森で育まれた産業や文化

・霊媒師イタコが霊場・恐山の象徴的存在となった理由
・諸大名が財を投じて求めた南部駒 青森県の馬産の歴史は古代から!?
・築100年のダムが現役!耐久性の高い青森ヒバ
・岩木山麓の原野を切り拓いて旧藩士たちが始めたリンゴ栽培
・大間のマグロに陸奥湾のホタテ! 青森県で水産物が豊かな理由とは?
・船上に車両を載せて海を渡る! 青森〜函館をつないだ青函連絡船
・セメント工場の設立をきっかけに漁村から工業地帯に変貌した八戸
・米軍・自衛隊・民間が利用する三沢飛行場は旧海軍航空基地だった

・・・など

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